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「教え子」を大学に「通した」という表現

今回の内容は私の個人的な感覚の問題であり、特定の人物を批判する意図は一切ありません。

「教え子」という表現

「教え子」という表現が苦手です。

この言葉にとても恩着せがましい印象を抱いています。

なぜならば、学校で学び、成長し、そして卒業したのは本人の行動と努力によるものでしかないからです。

別に私が何かを「教えた」からできるようになった訳ではないと思います。

この仕事を10年以上もしていると、もうすでに社会に出て立派に貢献したり、財を成した卒業生もいます。

当然ながら私なんかよりもよっぽど社会的に成功した人と言ってよいでしょう。

そんな人達を自分の「教え子」などと言うのはあまりにも不遜な表現だと感じるからです。

〇〇大学に「通した」

この表現も、過去の生徒や事例が話題に出た時に自然と口をついて出る人がいます。

しかし、よく考えればこれほど失礼な言い方はないと思います。

試験に通ったのは本人の学習と努力の成果です。

受験票を出したのも、願書を書いたのも、受験会場に行ったのも、そして受験会場で戦ったのも本人です。

推薦や総合型で受験して、その準備をかなりサポートしたとしても、あくまでも手伝いの範疇でしかないはずです。

もしかしたら…

いや、もしかしたら言葉通りに誰かをどこかの大学に通したと胸を張って言える大先生がいらっしゃるのかもしれません。

ちなみに、私なら「元生徒」が「受かった」大学、といった表現になるでしょうか。

教員は勘違いしやすい仕事ですので、自戒を込めて、ってことで…

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