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【題未定】卒業生の結婚式と路傍の石【エッセイ】
先日、担任をしていた卒業生の結婚式に出かけた。この仕事を始めて20年弱になるが、卒業生の結婚式に呼ばれたのは始めてであり、貴重な経験となった。私の場合、卒業後は卒業生とめっきり連絡を取らなくなることもあり、こうした機会を持つこと自体、非常に珍しいケースとなる。
同僚や先輩教員の話を聞く限りでは、このあたりのさじ加減は人それぞれのようだ。卒業後から毎年のようにクラス会や個人的に飲みに行く人も少なくないという。私の場合は公的な同窓会の総会時に、見知った相手と飲んで会話するぐらいが関の山だが、どっぷりとプライベートの付き合いをする人がいることには驚くばかりだ。
幸いというべきか、その時のクラスの生徒が何人も招待されており、当時の話やその後の卒業生たちの様子を知ることができ、非常に有意義な時間を過ごすことができた。
とはいえ、私立学校に通った生徒、勤める職員の醍醐味の一つはこのあたりにあるのかもしれない。自分の担任が何十年経っても同じ学校に勤めているというのは公立出身者としては想像しにくい世界だからだ。私自身は公立高校に通っていたこともあり、教育実習で母校に顔を出した時点で知っている顔が相当に少なくなっていたことに驚いたのは今でも覚えている。
久しぶりに会う卒業生は見違えるほどに立派になっていた。10年以上も前の卒業生だったこともあり皆30代、プライベートでは子供が生まれ、勤め先では中核となる人材として勤務しているとの報告は非常にうれしいものだった。普段は送り出してからの様子を知ることができず、目の前の業務に忙殺されて視野が狭くなりがちなため、良き息抜きともなった。
教員という仕事にやりがいがない、とは思わない。しかしこの仕事は社会に直接的なインパクトを与えることのできない仕事であるのも事実だ。何かしら社会の利便性や豊かさに寄与することもなく、誰かの命を救ったり一生の間に稼ぐことのできない金額を右から左に動かすこともできない。端的に言えば規模の小さい仕事であることは間違いないだろう。そのため、日々の生活ではやりがいを見失いがちになる傾向は否めない。
しかしこうした卒業生の姿を見る経験は、自身の仕事を見つめなおすきっかけともなる。もちろん彼らの今の成功が私の功績であるとはつゆほども思わない。ただ彼らの通った道にある路傍の石として、その進路の一歩のきっかけになっただけでも、この仕事をしていてよかったと感じることができるのは私の気のせいだろうか。少なくとも今回の結婚式は私にとってそうした思いに浸ることができる良い時間となったのだ。