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「予習」と「教材研究」の相違から小学校課程の学びや指導を共通テスト対策に生かしたい、という管見

教員の日々の業務の重要なものに「教材研究」と呼ばれるものがあります。

これは授業に関して知識や理解を深めるために行うもので、業務であると同時にある種のスキルアップでもあります。

近年は教員の多忙さから「教材研究」の時間が取れない、といった問題が噴出しており、これが公教育の質の低下につながるとも言われています。

「予習」と「教材研究」の違い

こう聞くと、門外漢の方はそれは「教材研究」とは授業の予習のことか、と考える人も多いでしょう。

実はこの2つに関しては明確な定義もなく、教員の中でも人によっては同一視しているケースは多いようです。

そこで、個人的な定義と、その2つの違いをまとめたいと思います。

「予習」とは

教員が行う「予習」とは授業で扱う問題や題材、単元の内容を精査し、整理して授業というパッケージに落とし込む作業です。

この中には教員側の知識や理解における準備も含まれるので、様々な類題や発展問題、大学入試における傾向との比較や過去問からの引用なども調べます。

また、板書や説明の準備を行い、授業の流れや板書計画を準備することもこの中に含まれます。

さらに、利用する教具やアプリの設定などもすることになります。

「教材研究」とは

「教材研究」と教科観(教科の意味づけや価値)、指導観(生徒をどういった方向性で伸ばすか)、生徒観(現状のクラスや生徒の状況と特徴)を踏まえて教材や教科の内容、成長させる能力やその発展性を考察する作業です。

いわゆる「指導案」に書かれることをじっくりと準備することであり、「研究」と名の付く通り、論文や紀要に耐えうる客観性や学術性を持たせることを目標としています。

比較をすると、「予習」があくまでもその授業単体における指導の前準備であるのに対し、「教材研究」はより長いスパンで考えた指導や育成の準備と言えるでしょう。

「予習」≠「教材研究」というのは間違いありませんが、この2つは対立する概念でもなければ、一方に包含される概念でもありません。

校種におけるバランスの違い

授業準備に関して、教員間で話をすると大きなズレを感じることがあります。

特に私のような高校の教員と、小学校の教員のズレは決して小さくありません。

それは対象とする年代が全く異なるというのもありますが、それよりも授業準備に対する認識が大きく異なるように感じています。

その理由は授業準備に対する「予習」と「教材研究」の成分の割合ではないかと考えています。

主観ですが、高校と小学校の授業準備は以下のような割合だと考えています。

  • 高校・・・「予習」:「教材研究」=8:2

  • 小学校・・「予習」:「教材研究」=2:8

高校の内容は問題や単元の内容そのものが高度で難しいため、それを解けるようになることが目的となりがちです。

知識や前提条件なども複雑で大量に存在するため、個々の内容に対して背景を考えにくいものとなっています。

一方で小学校の内容は生活に密着している内容であると同時に、素朴な思考や基本概念の理解が中心です。

そのため、他教科や他分野との接続が行いやすく、実社会や現象とのつながりや発展性が強いことになるようです。

結果、高校ではどうしてもその問題や単元にフォーカスを当てた内容となりやすく、小学校では常に広がりを意識した授業展開が必要となります。

そうした授業内容の特性が準備にも反映され、高校の授業においては「教材研究」の要素が少ない準備になりがちのように感じています。

共通テストと小学校範囲の類似性

ところが、近年変更となった旧センター試験である「大学入学共通テスト」はどちらかと言えば小学校の内容をそのまま高度にしたものとなっています。

これは簡単になっているのではなく(むしろ難化している)、シンプルな思考や予想、法則化の能力を日常や常識の範囲から関連付けるという形式になっているということです。

ということは、共通テスト対策を考える上で、小学校過程の指導や方針、方策を学ぶことは決してマイナスにならないと思うのです。

「教材研究」を増やす必要性

私のような研究者にもなれず、高校教員に甘んじている人間にとって、「教材研究」という言葉は非常に照れくさく、そんな御大層な研究をしていない、という認識があります。

そもそも先述のように、授業の準備は「予習」という表現がしっくりくる印象もあるからです。

しかし、共通テストの対策を考える上では、より大局観のある「教材研究」要素を増やしていく必要があるのではないかと思うのです。

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