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「カルト宗教全否定」という教育の敗北

安倍元総理の暗殺事件以降、様々な憶測が錯綜しています。

与党の中に特定の宗教団体と深いつながりのある人物がいる、支援を受けているなどの話があふれています。

そんな中で「○○教が与党を支配していたことがわかりました。」、「すべてのもやもやがすっきりしました。」といった感想を書いている人が結構な数います。
(Twitterの教員アカウントにもかなりの数がいるようです)

そのことに関しての警鐘的なものを依然記事に書きました。

今回はそこから一歩進んだ話を考えていきます。

悪の組織の存在を確信する人は教育の敗北ではない(と思う)

確かにそういったことを安易に信じてしまう人に対して、リテラシー教育が十分に整備されていなかったという教育カリキュラム上の問題はあります。

しかし、SNSという新たな情報拡散装置によってポンプのようにデマや陰謀論が大量に汲み上げられるのが現代のネット社会です。

そうした考え方を支持する意見の濁流の中では自分の意見が気づかないうちに傾いていくことを避けるのは難しいでしょう。

これは教育制度の問題というよりも、個人の問題として認識すべきかもしれません。(現時点では、ですが)

しかし、最近目立つのはそれより一段強い意見です。

「カルト宗教は全て禁止しろ」、「カルト宗教を規制すべきだ」という極論です。
(ちなみに三大宗教も本をただせばカルト宗教です。ミラノ勅令以前のキリスト教は完全にカルト扱いでしかありません)

「信教の自由」の保障

日本国憲法にも信教の自由に関しての条文が存在します。

日本国憲法第20条
第1項
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

近代国家において自由権は何においても尊重すべきもので、信教の自由もその一つです。

信教の自由は人類史における精神の自由を希求する動きとして獲得したものであり、現代日本においても当然ながら最大限尊重されなければなりません。

したがって、どんな宗教であれ、誰かがそれを信じたいときに、信仰する自由は認められなければならず、規制や制限をかけてはいけないのです。

それゆえに、自らが教祖と名乗り教団や宗教を組織することは完全に自由なのです。

では、国家権力は宗教に対し何らかの権限をもっているのでしょうか。

宗教法人の認可権

政府、正確には文部科学省(のさらに文化庁)が宗教法人に対しその設立に伴う認可権を持っています。

宗教法人として認可されると、法人格として不動産を所有できたり、法人税や固定資産税の減免などの優遇措置を受けることができます。

こうした優遇制度を受けるためには国の審査を受ける必要があります。

詐欺行為や信者からのお布施の強要などがあれば認可を外すという制裁措置を行うことは可能です。

実際、オウム真理教などは一連のオウム事件発覚後に裁判所から解散命令を受け宗教法人ではなくなりました。

とはいえ、宗教団体としての活動自体は可能です。それこそが信教の自由なのです。
(本件に関しては最高裁まで信教の自由について争われています)

規制すべきは犯罪行為や過度な集金

カルト宗教団体がいかなる頓智気な教義を信仰していたとしても、そのこと自体で取り締まることは絶対に許されません。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教であっても例外ではないのです。

もちろん脅迫行為や、詐欺まがいの過度なお布施の集金に対してはある程度行政の制限を加えることもあってよいでしょう。

大事なのは、宗教そのものではなく法律を犯すような行動を取り締まり規制すべきであるということです。

私自身はカルト宗教に入信しているわけではありませんし、お布施を収めたり、あるいは逆に利益供与を受けていることもありません。

学生時代は原理研などに勧誘を受けたり、親族がカルトの信者であったりと個人的に良いイメージはありません。しかしそれでも信教の自由は絶対に守られるべきだと考えています。

宗教に関する教育の敗北

宗教という人間の根源的な部分に、踏み入れないように戦後教育は行われてきました。それは戦前の国家神道的な教育からの反動でもあります。

その拡大再生産の三周目、四周目あたりが学校教員の現役世代です。

特定の宗教を肯定をするでも否定をするでもなく、生徒に宗教について話すことはとても困難です。

自分が特定の宗教を信じている場合もバランスに苦しむでしょうし、自分が宗教に対して意識を払っていなければ話すこともままならないでしょう。

しかし、給食でいただきますと手を合わせることも、8月や3月に黙とうをすることも宗教です。

そのことについて、私たち日本人は、そして日本の教員は考えもせずに生徒に強制させてはいたのではないでしょうか。

その点において宗教系の私立学校の先生方には尊敬の念を抱きます。教育の中に特定の宗教、宗派の内容とはいえ宗教を取り込んでいるからです。

公立学校や、非宗教系の私学では委縮して、宗教に対して及び腰になってまともな教育を行っていないのが実情です。

そうした状況が小中高と宗教について深く考えない若者を生み出し、カルト宗教に安易に入信する正直者と、カルト宗教を全否定する過激派を生むことにつながっているのではないでしょうか。

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