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【題未定】赤いきつねと表現の自由──炎上する社会の寒さとうどんの温かさ【エッセイ】
冬の寒さが依然として続いている。こんな時期に美味しいのは温かい食べ物だろう。九州においてそうした温かい食べ物の代表格と言えばうどんである。本州の人は「九州といえばラーメン」の印象が強いかもしれないが、飲みの締めとしてはともかく、日常の食事という点では博多うどん、五島うどんなどに馴染みのある九州人の方が多いのではないだろうか。
うどんと言えば最近SNS上で物議を醸している「赤いきつね」のCM問題だ。これは「マルちゃん」で有名な東洋水産の看板商品であるカップ麺のCMに性的な表現が過剰に使われていると一部のフェミニストがクレームをつけたというものだ。
そのCMを見たところ、個人的な感想はこれをなぜ問題視するのか全く理解できなかった。少なくとも直接的に性を意識させるような表現があったようには思えず、炎上をする要素は見当たらなかった。
一部のフェミニストの主張をまとめると、頬が不自然に赤い、髪をかき上げながら食べる仕草が煽情的、うどんを口にする様子が性的な印象を与える、といった具合だ。正直な話、これをもってCMを取りやめろという主張の論拠とするにはあまりにも無理筋だろう。
言うまでもないことだが、彼らの感じた「気持ち悪さ」を否定するつもりはない。彼らがそう感じたという事実自体は存在するからだ。問題なのは、一般性、普遍性の無い、一部の界隈だけに通じる共通認識と個人的な感想を錦の御旗に掲げ、表現や言論の自由を侵害しようとするその行動を容認できるかということだ。
仮に件のCMの表現が問題があると感じ、その意識を啓蒙しようと社会運動を広げることは何ら問題の無いものだ。私は見ない、不快、その感覚を世間も持つべきだ、という主張に対する言論の自由は認められるべきだ。しかし社会全体として問題になっていないものに対し、自分たちが気に食わないから止めろと圧力をかけるような行動は何があっても容認できるものではない。
実際、この炎上に対してさっそく調査を行っている人が存在する。横浜商科大学教授の田中辰雄氏である。氏は計量経済学を専門に研究をされており、今回のこの問題に対していち早く調査を行っている。
(学歴厨の批判を避けるために断っておくと、氏は慶應義塾大学で教授職を退官した後に横浜商科大学に赴任している)
調査によると、女性への調査(n=2222)においても「気持ち悪い」と答えたのは6%、「やや気持ち悪い」を合わせても15%となっている。少なくともこの結果を見て、「女性が」不快感を持つ、という表現は誇張が過ぎることは自明だろう。ちなみに氏の分析では、この悪印象の要因にはジェンダー教育やアニメに対する親和性が影響するとある。大卒者は高卒者と比べて3.0%、アニメを見ない人は見る人と比べて3.6%も不快とする選択をする傾向があるようだ。
この結果を見ても明らかなように、どうやら不快感を感じる人はかなりの少数派である。もちろん少数ながら反感を感じる人がいるのだから止めるべきだという主張も一理ある。しかし今回の事例においてこのCMの内容を一部の反発だけで中止するようなことがあっては言論や表現の自由という概念は有名無実と化すだろう。それは言論や思想の統制を賛美する世界でしかなく、その主張者はフェミニストではなく、フェミファシストとでも呼称するべき種類の人間だ。
今後の社会の行く末によっては、こうしたCMが世間一般の批判の対象となることは十分に考えられる。喫煙シーンの表現が映画やドラマ、アニメからキレイさっぱり無くなったようにだ。その是非はともかくとして、不快感を持つ人の割合がある一定の冪値を超えたために起こった現象だろう。
しかし今はまだその時期ではない。少なくとも現状において、このCMの表現に不快感を持つ人は極めて少数派であり、その一部の人のためにマスに対する言論や表現の自由を制限するという手段は安易に用いるべき手段ではない。これらは民主主義や自由社会の根本を支える概念だからだ。
一部のフェミニストが主張する極論に振り回される世界こそ、人類史における冬の時代の到来を意味する。その寒さは社会全体を凍り付かせ、停滞を招くはずだ。それこそ、うどんを食べて温まるような代物ではないだろう。