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皆勤賞の存在意義

学校という組織は社会の中でも極めてコンサバティブな組織です。

未だに昭和的価値観をそのまま引き摺っている習慣が、令和も4年になろうというのにいくつも残っています。

そしてその代表例の一つが「皆勤賞」の存在です。

皆勤賞とは…

先日、終業式があり私の勤務校も3学期を終えました。

終業式後のホームルームでクラスの生徒達に毎年賞状を渡すのですが、その賞状が「1カ年皆勤」の賞状です。

学校では1年間無欠席の生徒を「皆勤賞」として表彰する文化が残っています。

皆勤の条件について、遅刻や早退を含むか否かはどうやら学校によってまちまちのようです。

ともかく、休んでいない、欠席をしていないことを評価するということです。

つまり、生徒は1日も休まないことを表彰されるほどに重要なことと学校的には認識されているようです。

労働基準法と有休

一方、我が国には労働者の勤務する最低条件を規定した「労働基準法」という法律が存在します。

使用者は、第一項から第三項までの規定による有給休暇の日数のうち五日については、基準日(中略)から一年以内の期間に、労働者ごとにその時季を定めることにより与えなければならない。

労働基準法 第39条 第7項

どう読んでも、年間5日休むことを義務化しています。しかも、使用者に労働者を休ませる義務化しているわけです。

つまり、大人は5日休むことを法律で義務化するほどに重要なことと社会的には認識されているようです。

学校と社会の目指す方向が異なるという問題

これは明らかに、学校での評価基準と社会的な評価基準が矛盾していることになります。

ちなみに、労基法の改正によって有休取得の義務化となりましたが、その改正は2019年です。

これは、比較的新しく変わった社会の状況に学校がついていっていない、ということなのでしょう。

この改正は有給取得率の低さからくる生産性の低下などが社会問題化したため、ワーク・ライフ・バランスの実現を目指して改正された内容です。

社会全体としてしっかり休み、余暇を満喫し生産性を向上させる方向にシフトしようとしているのに、学校では未だに苦役に耐えることが価値を持つ路線から脱却できていないということです。

休まないことは良いことなのか?

そもそも、休まないことは本当に良いことなのでしょうか。

私は毎年、高等学校を卒業する生徒を見ていますが、その中に12カ年皆勤といった生徒が存在します。

もちろん、その生徒が本当に12カ年、健康で怪我や病気を全くせずに成長できたのであれば素晴らしいことです。

しかし、果たして本当に12カ年健康であったのでしょうか。

正直、私は難しいと思います。1日も風邪も引かず、病気も怪我もせず。

実際には無理をして学校へ行った日もあるのではないでしょうか。

皆勤賞をとることだけのために毎日学校に無理矢理通うようでは本末転倒です。

既存の価値観からの脱却を

このように小中高と長い期間にわたり、生徒達は学校に無理してでも行くべきだし、体調が多少悪くても我慢して(場合によっては周囲に隠して)通うべきと刷り込まれています。

その結果、学校を休むことに極端な抵抗感を感じるようになります。

そのようにして育った若者が、どうして自分の権利をどうどうと主張して有休を取得するような人間になれるでしょうか。


自分で休むタイミングを決めて体調を整えるなど、しっかりと自己管理できる大人を作ることが学校教育の目的だと私は思います。

「皆勤賞」についても見直すべきで、むしろ5日を計画的に休んでリフレッシュしたことを評価する賞を作るべきでは、とも思うのですがどうでしょう…



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