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【題未定】「Fラン」の罠──揶揄の裏にある進路選択の現実【エッセイ】
「Fランに進学するぐらいならば就職する方がいい」という言葉はSNSでよく目にする文言だ。「Fラン」とはFランク大学、すなわちボーダーフリーとなっていて受験者がほぼ全員合格する大学という意味だ。
かの人曰く、無駄にお金を費やして4年間を無駄にするぐらいならば、実務経験を積みつつお金を稼げる方がましだ、ということのようだ。
一見するとこの言葉の信ぴょう性は高い。私立大学の文系であっても4年間の学費だけで300万円は負担が発生する上に、一人暮らしをする場合は家賃や生活費も掛かってくる。単純に考えても500万円を軽く超える金額になるだろう。それを考えればこの「就職しろ」という主張は極めて正当なもののようにも見える。
ところが現実は大きく異なる。実際には高校生が卒業後にすぐ就職をするのは非常に難しいのだ。高校生は今の大人が考えるよりもかなり幼い傾向がある。またかつてのように厳しく、あるいは体育会系的、暴力的な指導で矯正を受けてきていない。加えて年齢が大きく異なる世代との交流経験がほとんどない。そのため、高校生に門戸を開いているような就職先の多くとはミスマッチングをするケースが多い。簡単に言えば、職場環境に病んですぐに辞めてしまうということだ。
では有名企業に就職すればよいではないか、という指摘も的外れだ。それらの就職は基本的に実業系の高校にあてがわれた枠となっている。実業系の高校生は全体の4分の1にしかすぎず、4分の3の普通科高校の卒業生はそこにエントリーすらできないのが現実である。
高校就職に関して知らない人は多い。おそらくこれについて語る人のほとんどが大卒者であるからだ。高校就職は基本的にすべて「指定校推薦」的なシステムであり、自由選抜とはなっていない。つまり高卒で就職をしたければ中学校卒業段階で就職を優先した実業系に進学する必要があるのだ。その上で上位の成績を維持することで希望の就職先を選ぶことができることになる。つまり中学時点で就職を選ばなければ高校卒業時に有利な条件で就職をするのは難しいだろう。
では、中学校時点で就職を前提に将来を思い描ける人間がどれほどいるだろうか。親世代の大学進学率は5割になっており、両親のどちらかが大卒である割合はそれ以上である。その家庭に育った子供が大学進学を前提としない進路選択を考えるのは相当に難しい。そして先述のように普通科に進学した場合就職先の門戸が狭いことも知らないはずだ。結果的に普通科に進学して成績が振るわないとしても、大学進学をすることが最適解になる可能性は高いのだ。
忘れてはいけないのは「Fラン」とレッテル貼りをして入学難度の低い大学を一括りにして批判をするべきではないということだ。確かに学生を受け入れるだけでまともな教育も行わず、劣悪な環境を放置する大学が存在するのも事実だ。しかし入学者のレベルを卒業時までに引き上げて、立派な社会人として送り出す大学も決して少なくはない。現実にそうした大学のいくつかは口コミや評判で徐々に人気を上げていて、それにつれて入学難度も上昇している。地方の単科の工業大学にはこうした事例がいくつも見られる。
幸か不幸か、日本社会は高学歴化し、大学進学者が高卒者の過半数を占める状況となっている。この環境の中で偏差値で輪切りにして、それらの大学をすべて税金の無駄遣いのように批判するのはあまりにも考えが浅く幼稚な行為である。入学難度という入り口の議論に終始せず、大学全体に視野を広げて評価する必要があるのではないだろうか。
そうした冷静な視点と広い視野から偏差値に議論を矮小化し、受験学力自慢の自己顕示欲を満足させるだけの言葉が「Fラン」という揶揄なのではないだろうか。だからこそ、「Fラン」という言葉を使うべきではないのだと思うのだ。