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ペーパーテストは「公平性」を演出するシステム

大学入学の仕組みの内、日本で最もスタンダードな受験方法が「一般入試」です。

ペーパーテストを受験し、高得点を取ることで合否が決定するシステムです。

推薦やAO(総合型)選抜と比較すると、客観性や公平性が担保されていると考えられています。

このテーマについては一度記事にしています。

先日、メンバーが高学歴(正確には高大学歴ですが)が売りの「学歴の暴力」というアイドルのツイートに以下のようなものがありました。

日本の、特に高学歴層においてはこの考え方は一般的なものだと思います。実際リプにもこの意見に賛成のものが大半のようです。
(アイドルの、しかもこのコンセプトのものですので当然ですが)

逆に、推薦やAOは金で買える経験で受験をすることが可能で、親の経済力に依存しているため、本人の努力を評価する基準として適切でないというものという見方も一般的と言えるでしょう。

推薦やAO(総合型)選抜は「公平性」を欠いているか

まず、推薦やAO型の選抜方式が「公平性」を欠いているかという問題に関して考えます。

まず、「公平性」に関して言えば間違いなく不公平な制度です。

指定校推薦などの場合、学校によって枠が異なる上に教員側の評価が選抜基準に含まれるため、「公平性」を担保しているとは決して言えないでしょう。

また、推薦の要件に英語外部試験、帰国子女などの海外経験など富裕層が有利になる基準が多く、出願次点で公平とは言い難い入試制度です。

その上、合否の基準が不透明なこともあり、平等公平な試験とは言えないでしょう。(もちろんほとんどの大学はきちんと合否を査定していますが)

「機会の公平性」と「結果の公平性」

ベネッセの情報サイトには以下のような記事があります。

東京大学の推薦入試から「公平性」に関して考察する内容です。

いわゆるエリート校ほど校内選考が厳しくなりますし、そもそも男子校・女子校は共学校に比べて不利です。「他の高校に比べて不公平だ」という声が出ても不思議はないでしょう。
~中略~
推薦入試のアドミッション・ポリシー(入学者受け入れ方針)として、「学部学生の多様性を促進し、それによって学部教育の更なる活性化を図ることに主眼を置いて実施」する一方、「高等学校等の生徒の潜在的多様性を掘り起こす」としています。

ベネッセ教育情報サイト
東大の推薦にみる入試改革の「公平性」‐渡辺敦司‐

東大は多様性を確保するという目的ほかに、男女の入試結果や首都圏と地方の格差を是正するアファーマティブアクションの一つとして推薦入試を設定する意図があると考えられます。

アメリカにおいては人種によって入試得点の最低ラインが異なるなど、強いアファーマティブアクションがかけられています。

東大の場合、一般入試の割合がはるかに多いため、推薦入試の実施だけではそこまで大きな影響はありません。

しかし、明らかにペーパーテストのみの「機会の公平性」を優先した結果、相対的価値の下がった「結果の公平性」を確保する目的があるでしょう。

ペーパーテストの「公平性」

同じ試験を、同じ日に、同じ時間内で一斉に解くという試験は非常に「公平性」が高いように思えます。

多くの人にとって、大学受験の勉強に関しては努力を要します。そして大半の日本人たちは努力の量を評価するということに対し肯定的なようです。

そのため、彼らにとってペーパーテストは極めて「公平性」が高く見えています。

しかし、本当にそうでしょうか。

確かに受験学力自体は本人の努力との比例関係が存在するでしょう。しかし高い学力を身に着けた背景に多くには、親の経済格差が存在しています。

小さい頃から塾や習い事を経験し、中高一貫校に通いながら鉄緑会で勉強をした生徒と、親が育児放棄をして家事や下の子の世話をしながら公立学校で育った生徒が同じ条件であるとは言い難いのではないでしょうか。

また、地方の様に受験環境が悪い、平均所得が低いなどの条件では都会の受験生と同様の努力をしても同じ学力に到達することは難しいでしょう。

つまりペーパーテストは、試験場においては極めて「公平性」を担保されているが、それ以前の背景を含めると「公平性」が考慮されているとは決して言えないのです。

ペーパーテスト派は受験強者のバイアスがかかっている

ペーパーテストを「公平性」が高いと主張する人の多くは受験強者です。

自分自身がその成功体験によって認められているため、「公平性」が高いと認識しがちです。

逆に、自分の恵まれた環境に関しては極めて無頓着です。というよりも、恵まれていないということに気づいていないケースが大半でしょう。

そうした人たちは学力の有無を個人の努力や能力の差であり、それが自分の力で獲得したものであると考えています。

高学力層の多くは、親の経済格差や教育格差によって成し得た業績であることに無自覚です。

大都市圏の富裕層と地方の貧困層の差は個人の努力でひっくり返せるほどの小さな差ではないのです。
(例外は存在しますが、それを基準に考えることは無意味です)

このことについては、マイケル・サンデルが行き過ぎた能力主義に対する批判を書いています。

ペーパーテスト否定ではない

私はペーパーテストを否定したいわけではありません。

ただ、他の試験形式と同じくらい「公平性」を担保できていない、と言っているのです。そのことが巧妙に隠されている、あるいは社会全体が誤認していることに危惧しているだけなのです。

ペーパーテストができる人の個の能力、事務処理能力や論理的思考力、文章読解・作成能力高いのは否定できない事実です。

人格的にも相対的に優れた人が多いことは間違いありません。偏差値の高い学校ほどモラルが高いのは否定できません。

しかし、同時に受験秀才が多様性に欠ける集団でもあります。その中の多くの人たちは計算高く、保守的で臆病な性質を持っています。そのため、組織の変革やイノベーションの中心にはなりにくい人間がほとんどです。

そうした理由から、多様性の確保を目的とした現在の大学入試改革の方向性、ペーパーテスト、推薦、一芸入試などの受験機会分散化の流れは決して悪いものではないと思います。

先述のアイドルの言葉を借りて言えば、「人生逆転のチャンスなくすな」の実現を考えるほど、あらゆるテスト方式を受け入れることが必要なのではないでしょうか。


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