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【題未定】リスキリングは朝の散歩から【エッセイ】

 最近、早朝5時ごろから毎日1時間ほど散歩に出かけている。雨が降る日以外は必ず行くことにしている。この習慣を始めてから3か月になるだろうか。

 きっかけは運動、つまり健康維持のためだ。それまでも屋内でストレッチや筋トレなどの運動はしていたのだが、せっかくならば外に出て体を動かしたいと考えるようになったこと、また散策ついでに趣味の写真を撮ることもできるので一石二鳥だろうという思いから始めたのだ。

 街歩きや散策は昔から嫌いではなかった。いろいろな場所を見歩くのはそれだけで面白いし、見慣れた街であっても歩いて見回れば知らない場所や景色がいくらでも出てくる。入ったことのない店舗、隠れた路地裏、街という場所はアミューズメントパークもかくやと言わんばかりの感動に溢れている。その散策に写真という趣味性を加味することで朝から散歩へ出かける積極的な動機に変わったというところかもしれない。

 こうした健康維持のための運動は毎日継続することに最も大きな価値がある。一過性のハードな物よりも、習慣的な軽度の運動の方が寄与率は高いからだ。むしろ運動強度が高いものは健康を阻害する可能性もあるという。ようは軽い運動を長期間継続することが求められるということだろう。

 しかし実際にはそれが難しい。毎日、ということは多少の体調の良し悪しは勘案せずに続けなけばならない。私のような40を過ぎた中年の場合、そもそも毎日体調が100%という状況の方が珍しい。頭痛や足腰の痛みなどが全くない日の方が少ないかもしれない。それでも継続するというからにはかなりの意思の強さが求められることになる。

 個人的にはこうした継続に関しては少しだけ自信がある。長期的に少しの努力を習慣化することにかけてを非常に得意としているのだ。これは能力というよりも適性に近いものかもしれない。

 もちろん継続に関しては工夫をしているから、ということもある。スモールステップを意識して、とにかく毎日の負担感を削ったり、可能な限り道具を目の届く場所において意識付けするといった手法だ。

 逆に短期的に集中して、それこそこの一週間に集中して何かを仕上げる、といった作業は最も苦手とするところでもある。

 したがって学生時代の定期試験などは最も苦手な部類になる。そのため定期試験の点数がとにかく悪かった。短期的に頭に叩き込むというのがどうにも肌に合わないらしい。教員の立場から自身の適性を意識して主観的に見てしまうと、生徒の試験前における切羽詰まった様子は何とも不憫に思ってしまう。そんな短期的に詰め込むよりも、じっくりと毎日少しずつやれば楽だろうにと思わずにはいられないのだ。

 どちらの学習方法ややり方が正しいということはないだろう。ただ、日々の運動や健康維持においては長期的な継続の方に軍配が上がるようだ。しかし大事なことはそこではない。自身にあった学習スタイルや方法を見つけ出し、それを自分の状況に合わせてカスタマイズすることこそが重要だろう。

 学習方法を考える必要があるのは学生時代に限ったことではない。リスキリングやリカレント教育に注目が集まる一方で、日本人は大人になってから勉強しなくなるという話をよく耳にする。学生時代に詰め込んだ知識が陳腐化する速度が加速する時代において、自分自身の成長をどうデザインするか、誰しもが考える必要があるのではないだろうか。

 個人的にはまず朝の散歩から始めては、と提案することにしよう。

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