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真のICT教育は「アプリ依存」をいかに脱するかの工夫に他ならない

GIGAスクール先行導入から3年目、日本中の学校でICT端末やシステムの導入が進んでいると思います。

特に小中学校での導入事例発表を見ると、その進歩は目覚ましいようです。

初年度の端末配布世代が、次年度は高校生になることもあり高校での利用もさらに進んでいくでしょう。

一方で、ICTを全く使えていない現場や教員も一部には存在するようです。

その原因が、それぞれの教員の新しいことに挑戦するマンパワーの不足ならばまだしも救われます。

そうではなく、自治体の規定によってアプリのインストールなどに厳しい制限をかけている場合には、思考回路が硬直化した老人を説得するか、あるいは退場を待つかといった消極的な持久戦をするしかない現場の教員の方にはかける言葉もありません。

そうした状況と比較すると、私の勤務する私立高校はそうした機器やシステムの導入に対しては、自由にさせてもらえる環境が整っているため、非常にありがたく感じている部分ではあります。
(これは私立が良い、というよりも私立は学校によって状況が全く異なる、と解釈すべきです)

「アプリ依存」の恐怖

ICT普及が進んでいる地域や学校においてしばしば見られるのが、特定のアプリに依存した仕組みを構築しているケースです。

よくあるのはMetamojiを全導入しています、ロイロノートの機能で授業支援から生徒との連絡までフル活用しています、というものです。

それぞれのアプリやシステムに関しての機能の充実やその便利さに関しては否定するものではありませんし、使えるものとして使う分には全く問題ないでしょう。

しかし、それらのサービスはあくまで民間の一企業が作ったものであり、いつでも利用停止になる可能性があるということを考えてシステムを導入している団体はどれほどあるでしょうか。

特定のアプリやソフトウェアに依存したシステムを構築したり、授業形式を組み立てることはそのサービスが健全に運営されていたり、その端末が十分に普及している段階においては最大限のパフォーマンスを発揮するでしょう。

現状で言うと、iPadとロイロノートやWindowsとOffice365の組み合わせはそれにあたるでしょう。Classi礼賛主義もその一例です。

実際、私の勤務校でもそうしたシステムを導入していますし、便利になるのですから機能を活用すること自体に異論はありません。

しかし、そうしたシステムに依存してしまうと、システムの機能を停止したり、サービスが打ち切りになったりした場合に組織全体が機能不全になることを危惧しているのです。

セカンドチャンネルの準備とOSや端末に依存しない仕組みへのバイパスを確保する

こうした危険性を回避するためにはどのようなシステムを構築すべきでしょうか。

まずは、サービス内のSNSによる連絡手段だけでなく。ホームページとメールアドレスによる連絡手段の確保は最低限の準備になります。

また、テレビ会議などのソフトも複数を使える準備が必要でしょう。

サーバー落ちやセキュリティ不全(ZOOMが問題になったこともあります)に対してもオンライン授業が実施可能な環境を作るということになります。

また、授業での活用に関しても同様です。

よくあるのが、特定のサービス内で使えるファイル形式で資料を配布するケースです。

この手の資料は、サービスが停止したり、生徒が卒業してライセンスが切れるなどした場合見ることができなくなります。転出などの場合にもトラブルの原因になりやすいでしょう。

これを避けるために資料はPDF形式での配布などにすると、どんな端末でも閲覧が可能になり、またソフトもOS標準からフリー、有料を問わず多種多様な利用が可能です。

「アプリ依存」は使用者側の思考と工夫を奪う

また、生徒側の端末利用に関しても同様です。

UIの単純化という意味では特定のシステムやアプリの依存状態にすると、非常に使いやすくなります。

特に、機械や端末の扱いが苦手な生徒の場合は、アイコンのタップやクリックだけで立ち上げ、保存、終了が済んでしまうのは学習内容に集中するという観点では意味はあります。

しかし、一方で端末や機器の扱いに習熟するという観点で言えば全く進歩がなくなります。

あと数十年も経てば、考えるだけで操作できる端末が普及するかもしれませんが、それまでの20年、30年間に単純な端末操作しかできない生徒を世に送り出すことは教育機関として相応しいか、と言われると疑問符がつきます。

PC的なフォルダの管理や、ファイル形式を工夫して利用する知識は、国外でのやり取りも考慮すれば最低でもあと20年は必要なスキルではないかと思います。

真のICT教育とは

真のICT教育とは端末や環境に依らないICTの利用をこと可能にすること、と私は定義しています。

特定のアプリや環境だけでしか利用できない人間を育成しても全く意味がないからです。

ICT機器の授業利用はICT教育の中の一つの取り組みに過ぎず、だからこそアプリに依存しない形式での利用に私はこだわっています。

授業で用いる大半の配布資料演習プリント、電子黒板に写す内容のほとんどをPDFで行う。現在はGoogleClassroomを利用していますが、あくまでもデータの配布と回収を目的としており、他のプラットフォームにいつでも移れるような利用を意識しています。

もちろん、ICTを特定の環境下で授業に特化した利用で成果を上げている人もいるでしょう。

その取り組みを否定するつもりはありません。ただ、私とは異なる宗派の人なのだと理解しています。

ICT教育草創期である日本では、多くの宗派が生まれています。これを読んだいる方がどういった宗派に親和性が高いかを考えるきっかけになれば幸いです。

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