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AIは「提出型課題」の存在意義をどう変化させるか
ChatGPTなどの生成型AIの話題がここ最近の教育界隈では大きな話題になっています。
ニュースやSNSなどのメディオ上ではもちろんですが、リアルな現場でもどのように導入するか、排除するか、これまでの教育手法をどう変化させるか、様々な議論がなされています。
学校における「提出型課題」の存在
学生時代にレポートや課題、宿題の提出を課された経験の無い人はほとんどいないでしょう。
こうした「提出型課題」はAIを利用することで非常に簡単に解決することが可能になります。
当然ですが、基本的な情報、前提条件を打ち込むだけである程度の結果を自動的に生み出すことが可能だからです。
もちろん、一回の生成では正確なものは難しいかもしれませんが、複数回の試行と添削をさらにAIにさせれば、多くの場合は本人が実行するよりもはるかにクオリティの高いものができる可能性は高いでしょう。
ここから得られる結論は、もはや「提出型課題」を提出させても、それが提出者の何らかの評価指標として用いることは不可能であるということです。
「提出型課題」に意味は無いか
しかし、「提出型課題」そのものに関してその意味が無くなるというわけではないでしょう。
「提出型課題」は学生が特定の教科内容やスキルを理解し、研究や分析、論理的な思考を行うための手段です。
これらの課題をこなすことで、学生は情報収集に関する手法や批判的思考、表現力などの能力を伸ばすことができます。
つまり「提出型課題」の作成における価値は全く低下していない、むしろ作成過程の中にAIを組み込むスキルを含めることで、より高度な課題を作成する能力を高めることも可能になったと言えるでしょう。
しかし、その一方で提出された「提出型課題」そのものには評価すべき価値はほとんど存在しないという極端なコントラストが生まれるということです。
作成プロセスや能力伸長をいかに評価するか
これらのことから得られる結論としては、「提出型課題」の成果物をもって評価を行うことはできず、その作成過程やそのプロセスを通じていかに成長したかを評価することが求められるということになります。
(もちろん最低限の成果物の提出可否という単純な評価自体は存在しますが)
つまり、プロセスを含めて評価したい場合は自宅での作成などブラックボックス化する過程は排除し、教室や授業中といった常に様子を確認しながら評価をする場所で実行することになるでしょう。
一方でその能力伸長を評価基準とする場合には、「提出型課題」の内容を評価から外し、その過程において伸びたであろう能力を測るテストを別に課す必要があるでしょう。
評価者の発想の転換が不可欠
学校教育におけるAIに対する忌避感の原因は、こうした発想の転換の準備ができていないものが原因でしょう。
読書感想文コンクールなどの既存の作品公募などもこうした転換を余儀なくされているはずですが、現状ではお題目のようにAI利用禁止を唱えるだけで対応策は見えてきません。
これは学校現場においても同様です。
課題テキスト、宿題プリントからレポートに至るまで、成果物の評価から脱却する必要があります。
教員側のAIに対する理解と意識改革が求められているのではないかと思うのです。