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「公立夜間中学」設置と教員免許制度
近年、義務教育の未就学者の問題が取りざたされています。
この問題の解決の手段として、「公立夜間中学」の設置が全国的に進んでいます。
「公立夜間中学」設置の動き
「公立夜間中学」は義務教育を受けずに社会に出るなどした人を対象にした教育機関です。
これまでは一部の大都市などにしか存在しませんでした。
山田洋二監督の『学校』はこうした夜間中学が舞台になっいて、映画を見た方はイメージしやすいのではないでしょうか。
「夜間中学」は、かつては戦後の混乱期に就学できなかった人が主対象でしたが、近年はもっと若年層を対象にした場所として機能しているようです。
不登校の増加だけでなく、在留外国人など生活背景が多様化する中で、全国的な設置の動きはむしろ遅すぎると言えるかもしれません。
私の住む熊本県でも令和6年の開校を予定しているようです。
文科省も設置、充実に向けて広報を行っています。
「夜間中学」では誰が教えるのか
一教員として気になるのは、こうした「夜間中学」では誰が教員として勤務しているのでしょうか。
当然ながら、中学校教諭免許を取得した教員です。
もちろん、教員免許は教科的な指導をするための免許であり、大学ではそうした指導のための教育を受けて免許が発行されています。
また、中学校教員免許の場合、道徳指導などの生徒指導に関するカリキュラムも受講し単位を修得しています。
すなわち、中学校教諭免許は一般的な中学生の学齢を教えるためのプロフェッショナルであることを証明する免許と言えます。
「夜間中学」を教える免許は存在しない
しかし、「夜間中学」は年齢の高い人から、外国人や不登校経験者など多種多様な生徒を対象にしています。
従来の教員免許はこのような多種多様な生徒を指導することに対し、特別な教育を受けた証明ではありません。
例えば、特別支援学校においては当然特別支援学校教諭の免許を必要とします。小中高はそれぞれ免許が分かれており、対象となる発達段階に分かれた免許構成となっています。
つまり、学齢や発達段階によって指導の方法や問われる知識は異なるということを教員免許制度は示しています。
にも関わらず、そうした多様な生徒を指導するための教育学的知識や背景を修得せずに業務にあたるのは、現在も維持される教員免許の軽視と言えるのではないでしょうか。
教員免許軽視であり、学問の軽視
結局のところ、教員免許制度自体に対する文科省や教育委員会の軽視がここから見えるように思います。
事実、特別支援学校には特別支援免許を持たない教員が多数勤務しています。また、過疎地の学校では教科外の担当を持つことは決して珍しいことではありません。
そこには臨時免許という「裏技」があります。
学校において指導を行うということに関して、教員免許や大学での学びを軽視している姿がここにありありと見えます。
以前の記事にも書きましたが、日本では現場でのOJT頼みで仕事を回してきた背景があります。
学校という学問の場ですら、学位や免許を軽視し、素人を現場に放り込んで、仕事を丸覚えさせるという習慣がまかり通っているのです。
「夜間中学」設置は賛成
私は「夜間中学」に対しては賛成です。教育機会を失った人が、それを取り戻す場としては極めて重要な存在意義があると思います。
ただ、今後増え続けるのであれば、「夜間中学」における指導や免許に関してはきちんと整備がなされるべきでしょう。
また、一般的な学校であっても、今後は必ずしも同じ年齢、年代の生徒が通うというわけではなくなる可能性もあります。
そうした意味で、現在の教員免許制度や教員養成に関するカリキュラムは再構築をする必要があるのではないでしょうか。