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「ノートにまとめる」という学習スタイルの相対的な価値の低下

勉強をする、といって思い浮かべるものは人それぞれですが、そのやり方の定番と言えばノートにまとめる、という方法です。

「東大生+ノート」という検索ワードでAmazonを探すと、東大生のノート術を扱った書籍が大量に結果に出てきます。

この結果から見えることは、「東大に行くような人たちは何か特別なノート作成法で勉強しているのだ」と思っている人が世の中には多く、出版社としても需要が見込めるということでしょう。

板書をすべてノートに写す作業という苦役

苦労して何かをなしたことに対して高い評価をする文化が日本の一部ではいまだに残っています。

学校という場所はその例の最たる場所で、黒板の板書をノートにまとめることを生徒に強いることが授業だと認識している教員は少なくありません。
(特に中学、高校とその比率は上がっていくようです)

しかし、よく見ると大半の板書やノートに書かれていることは教科書や参考書に書かれているものであり、そのすべてを移す価値があるかというと疑問符が付きます。

ところが、場合によってはそうした授業の書写作業の証拠として提出させ、評価まで行うケースもあるようです。

教科書や参考書をノートにまとめるという「勉強」

これと似たケースとして、そうした授業を受ける文化で受験生になった生徒が行う勉強法があります。

それは、教科書や参考書に書いてあることをノートにまとめなおすという「勉強」です。

しかし、これもほとんど意味がありません。

なぜならば、教科書や参考書はプロの手によって情報が整理された上でまとめられたものだからです。

これを再度まとめなおしても、手元に残るのは出来の悪い劣化コピーでしかなく、手に入るのはペンだこや腱鞘炎とわずかの達成感だけです。

PCやタブレットのみで勉強するか

GIGAスクールによって端末が普及し、タブレットやPCで学習が可能になりました。

こうした端末を使った学習は、動画などビジュアル的な理解を促すには効果的ですが、物を覚えることには現状では不向きです。

日本認知科学会においては以下のような論文がありました。

本研究では,ノートテイキング方法の違いによって学習効果に差が生じるというよりは,慣れたやりやすい方法でノートテイキングを行うことが大切である可能性が示された.(中略)不慣れなキーボードによるノートテイキングを行って入力ミスによる間違いを身に着けてしまうよりも,手書きしたほうがより良い成績がもたらされる可能性が高そうである.ただし,今後,手書きよりもキーボード入力に慣れた学生が増えた場合,この結果は変化するであろう.

いまだ,ペンはキーボードよりも強し ―ノートテイキングの学習効果

現代においても、幼少期から端末を手足のように扱う訓練を受ける事例は少ないため、ペンとノートを利用した学習効果は相対的に高いようです。

だからこそ、ペンと端末のお互いの長所を生かすことがポイントになるのではないでしょうか。

ペンの長所、端末の長所のハイブリッド

ペンの長所は言うまでもなく「即時性」です。聞いたことをメモするのには最適なツールです。

キーボードに慣れた人の場合、入力した方が早いという人もいます。しかし、そうした人は手書きと同じ速度で簡単な挿絵や図を入れられるでしょうか。

つまり、授業や話を聞いている段階でメモを取るレベルであれば間違いなく手書きが最適な手法と言えます。

一方で、板書されたものすべてを写すことに関してはどうでしょうか。

そもそもはすべてを写す行為には意味がないのですが、その場で説明があった内容をとりあえずまとめて保存し、後で復習や確認したいという状況はよくあります。

こうしたときに、全てを写したいからといって手書で写すことに集中していると、話を聞き漏らしたり、頭に入らなくなったりします。

その点、端末で板書計画ノートを教員と共有したり、板書写真で写すことができれば時間を無駄にせず、話を聞くことに集中できます。

自分で勉強する場合も同様に二つを併用することが重要です。

教科書や参考書にメモをしたものが最も良いテキストとなります。

ところが教科書や参考書は余白が少なく、書き込みにくいという欠点がありました。そこで端末を利用します。

該当のページを写真やPDFデータにして書き込めばスクラップとして保存することも可能になります。

「書かないと覚えない」という反論

こうした利便性の高いやり方を提案したとき、よくある反論が「書かないと覚えない」というものです。

しかし、実際にノートまとめを一回しただけで覚えられる人はどれほどいるでしょうか。多くの人はそのノートを何度も見て、読み、再度書き出していないでしょうか。

これは多くの受験生の学習スタイルを見ての経験則的なものですが、大半の生徒はまとめただけで覚えていることはほとんどありません。

彼らはそれらを読み、確認テストを繰り返すことで覚えることがほとんどです。

テストと復習に時間をかけることが学習効果を上げるのであって、ノートまとめに時間を使っても「覚える」ことにはならないということです。

また、近年は「覚える」ことの価値が下がっています。

そうであれば、なおさら理解を深めるためには「聞く」や「考える」に集中するためにも、書く行為をメモに留めることは重要でしょう。

「まとめ文化」の由来

こうした「まとめ文化」はどこから来たのかでしょうか。

その一つの原因は日本の「苦役」に耐えた人を評価する文化でしょう。ノート提出などはその典型的な例でしょう。

また、国外の学問を取り入れた経緯から、翻訳を兼ねてまとめ直した経験のある学習者が多かったこともあるのかもしれません。

さらにかつての教科書や参考書は難解であったことも理由でしょう。しかし、近年のそれは以前のものとは全く異なる、非常に読みやすいものとなっています。

「無駄」を省いた学習のすゝめ

「無駄」を省いた学習や指導を心がけることは、指導者としては意識しなければならないと思います。

「無駄な部分に価値がある」とは、無駄に気づき、それを省く経験に価値があるのです。

わざわざ「無駄」を強いなくても、そもそも初学者は必ず無駄なことをしてしまうものです。

こうした「無駄」の代表格が「ノートにまとめる」行為であり、現代においてノートにまとめる行為の価値はツールの充実や学習法多様化によって相対的に低下しているように思うのです。

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