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「怒らない」指導の重要性

元女子バレーボール日本代表選手の益子直美さんは2015年から開催していた小学生のバレーボール大会を、2021年4月に社団法人化し、「一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会」として再出発し、同団体の代表理事として現在活動を行っているようです。

この「一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会」とは、参加した子どもたちが楽しくバレーボールをやるために、指導者は怒りを封印して試合を行う大会というものです。

「怒る指導」の影響

益子さんは「怒る指導」を批判しており、そうした指導によって失われるものを以下の4つである、と指摘しています。

  1. チャレンジ精神

  2. 主体性

  3. 学ぶ機会

  4. 笑顔

これらのことを詳しく考察してみます。

1.チャレンジ精神

怒られることによって生徒は委縮をします。新しいことや誰もしていないことに挑戦することで発生したミスについて怒られるため、チャレンジをしなくなるでしょう。

2.主体性

何をするにも、指導者の指示が優先されるようになり、自分で考えることを諦め、盲目的に指示や指導に従うようになり、自ら主体的に行動を起こすのを止めてしまうでしょう

3.学ぶ機会

怒る指導は常に指示を与える指導でもあり、自ら試行錯誤をしなくなります。答えを与えられて行動した結果、本来学ぶことのできたチャンスを棒に振ることになるでしょう。

4.笑顔

指導を受けている時間や、そのスポーツの時間が苦痛となり笑顔が消えます。さらに言えば、競技そのものへの楽しさが薄れ勝利だけを報酬と認識するようになり、勝利至上主義を加速させるでしょう。

「怒る指導」と「厳しい指導」の違い

「厳しい指導」をしなければ生徒は成長しない、という主張をする人は様々な分野に存在します。

そうした人たちは、生徒のためを思って「厳しい指導」=「怒る指導」をしているのだ、と自分の指導方法を肯定しています。

しかし、「怒る指導」と「厳しい指導」は同じものと言ってよいのでしょうか。

「怒る」という感情の動きは自分の心の平穏が脅かされる場合に発生する感情です。「怒る」ことで自分の感情を守り、心の平穏を保つわけです。

つまり、「怒る指導」は自分の気持ちをや感情、立場を守るために行っているものでしかない、ということです。

本当の意味で「厳しい指導」とは怒ることではなく、生徒本人が自分と向き合い、それに負けない、負けさせない指導です。

そこには指導者側の「怒る」という感情の入る余地はなく、生徒が自分のっ弱さや欠点と向き合い、それを指摘し、励まし、ともに乗り越える指導のことではないでしょうか。

「怒らない指導」普及の道はいまだ遠い

残念ながらこうした「怒らない指導」はまだまだ普及するには時間がかかるようです。

特に体育会系の色が強い世界では、いまだに「しごき」文化が是とされています。

先日も部活動の指導で不幸な事件のニュースの続報があったばかりです。

こうした事件化したものは表面に見えていますが、全国で行われている理不尽な指導の氷山の一角に過ぎないのでしょう。

学習指導にも当てはまる内容

こうした「怒る指導」に関する弊害は学習指導においても同様でしょう。

宿題や課題の提出、予習や復習、試験の結果などで「怒る指導」を行っている教員の話を聞かない日はないぐらい、教育の場でも浸透しています。

もちろん、近年はそれに対して体罰を行うということはありませんが、叱責をするのでしょう。

しかし、その叱責が生徒の成長を促進するとは思えないのです。

私自身、そうしたことでかつては生徒を叱ったことがあります。

その時の自らの感情を思い返してみると、「自分に恥をかかせやがって」、「こちらの言うことを聞かずに舐めているのか」といった自分本位な思考でその感情を垂れ流していたように思います。

「怒り」では相手を変えることはできない

仕事上では「怒り」で生徒を指導をすることはほとんどなくなりました。

精神的な成熟を果たしたのか、心が枯れたのか、わかりませんが「怒らない指導」を意識してできるようになった実感はあります。

一方で、子育て中の私の場合、自分の子供を怒ってしまうことが多々あります。危険な場合は怒る必要もあるのでしょうが、それ以外の場でも怒ってしまうケースがあり、反省しきりです。

とはいえ、公私を問わず「怒り」で相手を変えることができないということだけは、指導にあたる立場として、常に意識する必要があるのではないでしょうか。

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