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「教育長が街頭でティッシュ配りをする」という笑い話
全国的な教員不足が深刻化しています。
この対策に各地の教育委員会が的外れ、見当違いの改革を進めているニュースが連日にわたって報道されています。
ここ最近流行っているのは大学3年生から採用試験の筆記試験を受験可能にするというものです。これ以外にも教員免許の無い人を受験可能にするなどの施策もあるようです。
「ティッシュ配り」で求人
高知県ではそうした人材不足に対して、街頭でのティッシュ配りを行って教員を集める活動を始めたようです。
高知県では、今年度採用小中学校の教員は予定より30人ほど少ないため、新年度に既定の教員数を配置できない学校が出てくるということのようです。
もちろん、こうした深刻な事態に対して何らかの手段を講じることは不可欠です。
しかし、教育長が街頭に立ってティッシュを配る、という行為に対して実効性があるのでしょうか。
そもそも多くの教育長は市民に顔を知られているわけでもなく、パフォーマンス性は低いでしょう。
その上、ティッシュ配りは時給1000円程度のアルバイトの仕事であり、教育長ほどの給与(月給70万円程度)を受け取る人間がこの仕事をすることの妥当性が私には全くもって不明です。
働き方改革や採用の弾力化など、やれることはもっとあるような気がします。
「ティッシュ配り」の効果
ここで勘違いしはいけないのは、「ティッシュ配り」自体の業務や効果は否定していない、ということです。
ネット社会となった今でも街頭のティッシュ配りはそれなりに存在しています。
そしてその広報効果は決して馬鹿にできるものではないということです。
広告としての転換率(広告を受け取った人が成約に結びつく割合)は4%と言われており、ネット広告よりも高くその上、地域的に選別をして配布する効果もあります。
しかし、果たしてティッシュ広告を見て「先生になろう」と考える層がどれほど存在するのでしょうか。
小売りや単発のサービス、飲食店であればティッシュ広告を見て「ちょっと寄ってみようか」という気持ちになりますが、ティッシュ広告を見て職業選択を意識するのはなかなかに難しいでしょう。
責任あるポジションの人が現場仕事をする無意味なアピール
日本ではこうした管理職や責任あるポジションの人が現場仕事をするアピールが好まれる印象があります。
もちろん、管理職として現場の業務を知っておくという意味では決して無駄ではないでしょう。実際、幹部候補生に現場での業務を一定期間課す企業は少なくありません。
今回のケースにおいてはそうした意味合いは薄く、明らかに人目を引くためのパフォーマンス(しかも効果の低い)にしか見えません。
世界的にはマネジメント業務を専任化するのは当然の流れになっています。現場での業務と経営や管理は全く異なる業種であるという認識が広まっているからです。
この流れは国内にも広まっており、専門経営者を置く企業も増えています。
そうした風潮から見ても、この「ティッシュ配り」は笑い話にしか私には見えないのです。