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保護者が手伝う前提の宿題
最近、小学生の子供を持つ知人からよく聞く話が宿題の量が多い、親が手伝う前提で宿題が出されていて大変というものです。
どうやら全国的にもそうした傾向がみられるようです。
具体的な宿題内容
宿題の内容としては私たちの時代からあったプリントはもちろんありますが、それだけでなく音読の宿題が非常に多いようです。
保護者は子供が読んだり、暗唱したりしたものを聞いて、チェック表にサインをして学校に持っていく仕組みのようです。
それ以外にも日記や通信欄なども存在し、保護者の確認を要する宿題が複数出題されているようで、話を聞く限りでは子供だけに任せておけば済む内容ではありません。
我が家でも子供が小学校に通い始めたため、実体験としても30年前よりも宿題の分量が増加していることは間違いないと感じています。
時間が無い小学校現場
こうした宿題に関して批判的な声もあるようです。
子供の負担が大きすぎることはもちろんですが、保護者が時間を取られ夜勤や交代制などの事情を考慮できていないというものです。
こうした保護者の批判自体は出て当然のものですし、生徒や家庭に丸投げしている現状は決して褒められる状況ではないでしょう。
しかし、学校にもそうせざるを得ない事情があるようです。
まず考えられるのは「ゆとり教育」によっていったん減少したカリキュラムの揺り戻しです。
教科書内容や教えるべき分量が増加しているのに加え、探究的な学習や英語学習まで増えています。
特に探究学習や英語に関わるものは家庭学習に回しにくいため、必然的に学校内で時間を取ることになります。
そうなれば必然的に覚える部分や演習を家庭学習で対応するしかなくなります。
さらにその状況が完全週休二日、コロナで減った行事が増加といった複合的な要因と合わさって、現実的に指導時間が確保できないというのは間違いないでしょう。
家庭環境で大きく異なる習熟率
家庭での負担が増えることは家族の負担増だけの問題ではありません。
保護者が家にいる家庭においては宿題内容の指導や確認、質問解決を行えることになりますが、労働時間が不規則な場合は家庭での学習の質が低下します。
加えて保護者が学校の勉強を教えることが可能な学力の場合とそうでない場合で、宿題の持つ学習効果は大きく変化します。
こうした家庭の教育リソースが大きく影響する状況が果たして公教育として望ましい形とは到底言えないでしょう。
高校ではどうか
高校の学習の場合、ほとんどの家庭では保護者が学習内容のサポートをすることは難しいでしょう。
日本中の社会人の大半は高校内容の学習を複数教科に渡って教えることができないからです。
(特定教科ならば可能な人はそこそこ存在するでしょう)
しかし、その分塾や家庭教師を利用できる高所得家庭は学校教育を活用でき、比較的所得の低い家庭は自学をするしかない状況であることは同じです。
しかし映像授業などのオンラインで低額の講座なども近年は存在し、格差是正につながっています。
ところが小学生ではオンライン講座という飛び道具も保護者の管理下での利用が必要であるため、解決方法となり得ないのです。
学校をいかに学びを優先する場所にするか
保護者が子供の学習をサポートするのはある程度は親の教育義務の範囲内でしょう。
しかし、それに依存してしまえば義務教育制度の根幹が崩れてしまうでしょう。
学校をいかに教育の場所として再定義するか、学問を学ぶ場所という本来の立ち位置を取り戻すことが求められているように思います。
教員は雑用係ではなく、教育者であり、教科指導を主とする職業であることを誰もが再認識し、行事の精査や雑務の排除などに取り組む必要があるのではないでしょうか。