高校数学における授業は「チョーク&トーク」が0-100ではなく、「ケースbyケース」
「アクティブラーニング」という言葉が流行ってから10年近くが経ちます。
また、新指導要領には「主体的・対話的で深い学び」という考えがその中心に据えられています。
こうした内容からも、授業や学習活動の中で生徒が自分の意志で主体的に参加し、能動的に行動することが求められています。
「チョーク&トーク」100%の古風な授業が未だに残る高校教育の現場
こうした流れの中でもかつてから授業のやり方を全く変えない人たちは一定数存在します。
特に高校ではそうした傾向の人が、小中学校よりも多いように思います。
黙々と説明し、板書し、生徒はそれをノートに写す授業です。
この授業スタイルは、多くの人間に規格化された知識を教えることに特化した方法です。
教室に50人以上いた時代には、そうした授業以外が考えられなかった、ICT機器などが存在しない時代には、同時に情報伝達をする技術が黒板とチョークによる一斉授業形式が最も最適化された手法だったことは間違いありません。
しかし、技術が進んだ現在においてはこうした授業スタイルは批判にさらされています。
無思考で座っているだけ、能動性や積極性を持たず考えを深めていないといった批判です。
「チョーク&トーク」0%の新しいスタイルが無条件で評価される状況
一方で、そうしたやり方をすべて変えた、話し合いやグループワークをメインに据えた授業は様々な場所で評価を受けやすいようです。
あるいは、PCやiPadなどの機器を積極的に用いて、アプリの機能を活用して動きを見せたり、クイズ的な利用をしたり、話し合いをしてみたりする授業は無条件でもろ手を挙げて評価されているような状況を目にします。
ところが、そうした授業の多くがアプリを使って遊んでいるだけであったり、動画を見て感想を話し合うだけの、主体的でも深くもない、学びの少ない授業であるケースも多いのではないでしょうか。
その結果、オーセンティックスタイルのチョーク&トーク派とオルタナティブのICTグループワーク派の不毛な対立が発生しています。
かたや、生徒が寝ている、かたや起きているだけで思考は寝たままだ、という悪口を言う人はリアルにもネットにも存在するようです。
アクティブラーニング導入には無条件に賛成だが…
まず、私の基本的なスタンスとしてはアクティブラーニングを利用することには無条件に賛成です。
実体験としてわからないところを試行錯誤したり、時には議論することも重要だと考えています。
私は理学部数学科を卒業しましたが、そこではゼミで自分のテーマとする書籍を決めて、学生が予習をした上で講義を教官や他のゼミ生の前で行っていました。
講義中に質問されたり、考えの浅い部分を指摘されたりすることで、より高次元の学びが得られたことは経験的に知っています。
また、数学科の友人とは講義後に浮かんだ疑問点について討論をしたことが何度もあり、それも学びを深めることにつながりました。
そうした経験はまさにアクティブラーニングと呼べるものであり、これを授業という枠組みの中に組み込むことの効果は十分に理解できます。
一方で、高校数学を書籍やビデオなどの独学で学ぶのは非常に困難です。
多くの高校生にとって、抽象化した概念や考え方をその場で誰かが小分けした状態で説明を聞かずに高校数学を理解することは不可能です。
最低限の「講義」時間の確保と演習時間の充実
非常に優秀な生徒の場合は、参考書のみや授業動画だけでも理解できる可能性はあります。
しかし、大半の高校生には高校数学で「講義」を聞く時間は絶対に必要です。
ところが、これまでのいわゆる「授業」はあまりにも「講義」に時間を割きすぎていました。
授業時間50分のうち、45分以上にわたって教員が話続け、生徒は話を聞き、その板書をノートに写すという作業に終始する授業があまりにも多すぎました。(私の高校時代やその後も、そして現在においてもそうした授業は多い)
その上で「自分」で問題を解く時間、誰かに説明をする時間、質問して疑問点を再考する時間の3つを充実させることが必要でしょう。
そしてそのためには、長々と教科書のすべてを頭から授業で話していくのではなく、「講義」をいかに早く終わらせるかが重要となってきます。
教科特性によって配分が異なる
こうした「講義」の時間配分は教科特性に依存する部分が大きいでしょう。
小学校の算数や中学校の数学の場合は、「講義」に時間をかけずとも自然発生的な思考を促進するだけで十分な理解が可能な内容が多いように感じます。
国語や、英語、社会などそれぞれの教科によっても割合は変わってくるとは思いますが、概念的な内容は指導者側の説明が不可欠なのは間違いないでしょう。
「チョーク&トーク」に寄りかかることはもはや時代に合わない指導だと思います。活動や演習の時間を組み込むことは学びの充実にとっては必要条件かもしれません。
一方で「チョーク&トーク」を全否定することもできないと思います。
何よりも「チョーク&トーク」で生徒をうならせる説明をできるスキルを身につけることは、指導力の信用や信頼を勝ち得る担保にもなるからです。
結局のところ、教科や学齢などの状況に応じて「ケースbyケース」で考えるしかないというのが実態なのではないでしょうか。