「大学に行く」という選択肢が身近にあるかどうかは、進学をする上での大きなアドバンテージとなる。
私も妻も大学に進学したため、子供たちの進路や教育費を考えるとき、基本的には大学に行くという選択を前提で考えています。
ところが、自分自身を振り返ってみると、大学に進学するということはそれほど身近な選択肢ではなかったように感じます。
親が大卒であるかどうか
大学へ進学することの是非や、費用対効果などに関してここでは考えず、単純に大学に行く選択肢の身近さについて考えます。
私の親は二人とも大卒ではないため、家庭の中で大学の話をするということがありませんでした。
母親はそれなりに教育熱心であったため、小学校のときに学習塾に通ったり、英会話教室に通うなどはしていました。
そのため、高校受験までは何となくイメージがついていたのですが、高校入学後に非常に苦労しました。
大学へ進学するために何を、どのように学習すればよいかという知見が自分自身にも、家庭の中にも全く存在しないのです。
また、当時は大学受験の塾がそれほど一般的ではなかったこともあります。
(これに関しても、実は高校の周辺に個人塾が存在し、高学歴家庭やその周辺では学校の補習兼受験対策に利用するという情報が共有されていたということを大分後になって知りました。)
高校時代に定期試験の成績が芳しくない私に父親が掛けた言葉があります。
「勉強が苦手ならば、寿司職人を目指せ。」
県内トップの進学校に通っていて、成績が悪いとはいえ模擬試験では偏差値65以上あった子供にこうしたアドバイスしかできないことは、親の学歴を超えることの難しさを示しているのではないでしょうか。
注:寿司職人は誇れる仕事であり、職人として尊敬に値する人たちですが、進学校からの転身はあまりにも見当違いの方向性である、ということです。
一方的な情報の言いなりになりやすい環境
私の高校時代も、私のように親が大卒でないのに進学校に進学してしまったケースの知人が少数ですが存在しました。
彼らは私同様に大学進学に関する知見が浅いため、情報源を学校の教員に依存していました。
当時はインターネットがそれほど普及しておらず、またそうした進学ノウハウの参考書も少なかったのです。
そのため、教員たちが口にする「○○大学に行くためには、学校の授業の予復習をしっかりと行い、本校の指導に沿っていけば必ず合格する」というデマに騙されていたようです。
私はその言葉の真偽を判断はできませんでしたが、その方針に従うのが性格的に不可能だと気付いたので戦線を離脱しましたが、彼らの言葉を妄信して思うような結果が得られなかった人も多いようでした。
後で知ったことですが、きちんと〇〇大学に進学できた人の多くは予備校や周辺の個人塾に通っていました。
このように、親が大学に進学していない、大学受験を経験していないということが大きなマイナスになることを身をもって体感したのが私の高校生活でもあるのです。
進学指導において意識すること
私は現在、進学校で教鞭をとり、進路指導にも携わっています。
その職務上で常に気を付けているのが、保護者が大学に行っていない生徒とある程度高学歴な保護者がいる家庭の情報格差を埋めるための情報発信です。
もちろん、現在と親世代の受験事情は異なるため、保護者が大卒だからと言って明確な情報格差があるわけではありません。
しかし、大学に進学することの意義や目的、そもそも大学に進学することを当然とする文化や子供の学習時における親の過ごし方などに関しては目に見えない格差が存在しているように感じます。
私自身が思い知った情報格差を、ほんの少しでも埋めることができるような形での発信を意識しています。