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「好きなことで生きていける若者を育てる」より「それを邪魔しない大人を育てる」

学習指導要領の改訂施行がこの春から高校でも始まりました。

この改定の目的は「生きる力」と題された目標が掲げられています。

学校で学んだことが,子供たちの「生きる力」となって,明日に,そしてその先の人生につながってほしい。
これからの社会が,どんなに変化して予測困難な時代になっても,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動し,それぞれに思い描く幸せを実現してほしい。

そして,明るい未来を,共に創っていきたい。

「学習指導要領」には,そうした願いが込められています。

これまで大切にされてきた,子供たちに「生きる力」を育む,という目標は,これからも変わることはありません。
一方で,社会の変化を見据え,新たな学びへと進化を目指します。

生きる力学びの,その先へ

「学習指導要領」の内容を,多くの方々と共有しながら,子供たちの学びを社会全体で応援していきたいと考えています。

文部科学省HP https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/

「生きる力」とは主体的に自ら学び、社会の変化を捉えて柔軟に判断、行動できる力、とも読み替えられます。

自分の興味を最大限に引き出し、それを原動力にして「好きなことで生きていける」人材の育成が目標にある、と私は読み取っています。

日本や国内企業の影響力が低下する中で、世界的に活躍する人材の育成を目指すのは必然です。

そうした意欲を引き出す教育こそが閉塞した日本社会や産業界から期待されているのでしょう。

現在においても「好きなことで生きたい若者」は少なくない

こうした状況を見ると、まるで日本の若者は「好きなことで生きたい若者」が少ないように見えます。

しかし実際はどうでしょうか。

最低限の収入を得て、個人的な趣味を謳歌する若者は決して少なくないように見えます。

アニメや漫画などのサブカルチャーや音楽はサブスクリプションサービスによって、より楽しみやすい環境が作られました。アイドルファンは劇場や握手会でこれまでよりももっと近い関係性を感じられています。

YouTubeは様々な趣味を深める情報源になっています。料理、アウトドア、スポーツ、多種多様の同好の士を探すことは極めて容易です。

しかも、年収が下がった若者たちが十分満足できる金額で利用できるのです。

実は若者たちはすでに好きなことでは生きていけなくとも、好きなことをしながら生きているのではないでしょうか。

「好きなことで生きていける若者を育てる」という考えのおこがましさ

おそらく、日本社会が求めるのはそうした個人的に好きなことをして生きる若者ではなく、好きなことに熱中し、大きな価値を生み出し、自分たちをけん引するリーダーを「好きなことで生きていける若者」と定義しているのでしょう。

スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクでしょうか。

あるいはかつての栄光からの本田宗一郎や盛田昭夫を期待しているのかもしれません。

しかし、そんな傑出した人材が学校教育でどうして作ることができるでしょうか。

学校教育という制度自体が、国民国家の構成員としての国民を養成するための画一的な均質な人材を大量生産する仕組みです。

それをどんなに改革したところで、そもそもの目的が異なります。

トヨタ自動車の乗用車の製造ラインでF1マシンを作ろうとするようなものです。

にもかかわらず、学校教育を変えることで突出した能力を養成することができると考えることは教育の驕りでしかないと感じます。

問題なのは異物を排除する空気感

問題なのはそうした傑出した能力の存在や、いわゆる変人を認めず、排斥する空気感を作ってしまうことではないでしょうか。

正直、学校教育を受けている大半の生徒は特筆すべき才能もなければ、それを補うだけの努力耐性があるわけでもなく、それぞれは極めて凡庸な存在でしかありません。

彼らには、新たな道を切り開く能力や気概もありません。
(これは悪い意味ではなく、大衆は常にそういうものでしょう)

教育ができることは、彼らが自分なりに楽しく、精神的に充足できる生活を送るための下地を作ることだけです。

そしてそれは現在、かなり高い精度で整っています。先人たちの作った互助制度はこの国において、ある程度うまく機能しています。
(もちろん設計ミスや不具合はありますが)

ただ、一つだけそれに加えてできることがあるとすれば、「好きなことで生きていける」人をむやみに排除せず、社会の中で受け入れるという心構えを育てることではないかと思うのです。

新しいものや異物を受け入れる、仮に受け入れられないとしても排除しないという価値観を作ることが求められているのではないでしょうか。

「邪魔をしない大人」を育てる

多くの人は「好きなことで生きていこう」として、挫折します。

その怨嗟を若者に向けて、何とか自分と同じ轍を踏むように画策することで自らの気持ちを納得させている人は少なくありません。

私と同世代の人たちですら、そう見える人が結構な数います、残念ながら。

子供たちは夢かなわず、すぐに大人になるでしょう。

「邪魔をしない大人」を育てることができれば、「好きなことで生きていける若者」は自然発生的に出てくると思うのですが…





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