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タブレットがただの連絡帳になっているという批判は的外れ
GIGAスクール構想によって日本中の小中学生にタブレットが配布されました。
これによって日本中の学校でICTを活用した教育が行われるようになると期待されていました。
しかし、その活用具合は自治体単位、学校単位、クラス単位で大きく異なるようです。
授業における積極的な活用
リンク先の記事にもありますが、体育の指導において動画を撮影し、そのプレイの様子を確認する、といった活用がされている学校があります。
また授業における調べ学習や話し合いにアプリを活用するシーンは珍しくない光景となっています。
こうしたタブレットをフルに活用できている学校がある反面、まったくその機能を生かし切れていない学校もあるようです。
記事内においてはタブレットを連絡帳としてしか活用していない、ということが批判的に扱われていました。
連絡帳、ノートの代用品からスタートする
しかし、この批判こそが的外れであるように感じます。
そもそもタブレットという端末自体が教育という場面では存在しなかったため、その活用方法自体が不明確なままに導入されました。
したがって、その活用具合に関して年単位での差が出ること自体は供すべきでしょう。
本格導入からまる2年、活用方法の共有や道具としての市民権を高めていく土壌がようやく整った状態と言えます。
その状況においては、まずは連絡帳やノートの代用品として存在意義を高めるということは決して悪手ではないのではないでしょうか。
これまで全く存在しなかった概念を導入するよりもはるかに導入へのハードルは下がるはずです。
一斉休校の反省をどう生かすか
2020年の3月、新型コロナの感染拡大とその病気の不明確さにより全国一斉休校が行われたのは記憶に新しいところです。
あの時点での教育現場の混乱はひどいものでした。
その理由は学校というリアルな場所でしか生徒への一斉伝達手段が存在せず、リアルが閉鎖されたときに学校という機能が完全停止をしたというものです。
あのとき、多くの学校では印刷機をフルで回し、各家庭に教員が直接配達するという昭和の学校もかくやと言わんような対応を行いました。
そしてICTやタブレットの導入に関しては、最優先事項はこの反省と克服ではないでしょうか。
教室以外のプラットフォームをいかに形成するか
現在、多くの学校では配布タブレット、パブリックアカウントと各種プラットフォームの導入により学校と生徒が繋がる空間を設置しています。
このため、仮に一斉休校が再度発生したとしてもかつてほどの混乱もなく迅速に対応ができるでしょう。
オンライン授業、ホームルームなどもすぐに準備が可能となっています。(そしてこれができない状況の学校は今すぐに対応すべき事案)
授業におけるタブレットの活用などは副次的効果に過ぎず、GIGAスクールの本丸ではないのです。
もちろん、教員の習熟具合によってできる授業は異なりますし、可能な限り活用していくべきであることは否定しません。
しかしこうした個人のICTスキルに依存した授業ではなく、いかにプラットフォームを設置し、連絡や伝達、教室の代替機能を確保するかがタブレット活用の文脈においては優先されるべきなのです。
その意味で言えば、授業で活用しているが授業中にしか使わない利用方法よりも、連絡帳として毎日使っているという事案はむしろ評価を受けるべきではないかとも思うのです。