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「リコーダーよりも作曲ソフト」という教育門外漢の社会学者の放言
「リコーダーよりも作曲ソフト」
社会学者の古市憲寿氏がいつものようにいつものごとく持論を展開しています。
プロの世界でも、他の楽器に比べて需要は限定的だ。人気バンドにリコーダーはまず見かけない。ライブのメンバー紹介で「リコーダー、TOMOYA!」みたいな紹介を聞いた記憶はない。オーケストラでも18世紀以前の曲の再演に用いられる程度だ。伝統楽器という位置付けである。
それにもかかわらず、未だに多くの小学校や中学校でリコーダーが教えられている。この時代、本当に義務教育でリコーダーを習う意味などあるのだろうか。
彼の主張の前半部分は全くもって正しい。リコーダーが人気な楽器であるとは言えないし、仮にリコーダーが引けたとしても役に立つ可能性は低いでしょう。
では氏の言うようにリコーダーを学ぶ意義はないのでしょうか。
リコーダーである必然性はないが合理性はある
私は音楽教育に関しては専門ではないため、実際に文科省や現場の教員がどの程度の目的で音楽教育を行っているかは正確には不明です。
教育現場の肌感覚としては、音楽を学ぶ目的の一つは豊かな生活や教養を高めることにあることだと感じていますし、そうした目標を掲げ授業を行っている先生方が多いようです。
小学校の音楽は主に以下の4つの活動を基本としています。
歌唱
器楽
音楽づくり
鑑賞
リコーダーは器楽に含まれる活動で、その中には楽典なども含まれます。
実際に楽器を触って音を出すこと、楽譜の読み方を学びその通りに演奏することによって音楽の喜びなどを学ぶことになります。
確かにこれだけを考えれば別にリコーダーである必然性は存在しません。
しかし、小学校入学時点から鍵盤ハーモニカは授業に含まれており、その派生として別の種類の楽器に触れる意味は十分にあるでしょう。
また、コスト面から、音が出るまでの習熟が少なくて済むこと、一人一個の楽器を持つ状況を想定する限りにおいてはリコーダーを学ぶことに関して十分に合理性が存在するでしょう。
(運指は複雑な指の使い方の訓練にもなっているなど副次的な効果も期待できます)
ICTと音楽教育
古市氏はさらにリコーダーと比較して作曲やICTを絡めて批判を行っています。
リコーダーの熟達は、外国語やプログラミングの素養を身に付けるよりも大切か。同じ音楽でも、LogicやGarageBandなど作曲ソフトを使えるよりも重要か。
この点に関しても教育に関しての門外漢ぶりが伺えます。現在、多くの学校では授業に作曲ソフトを取り入れています。
これは決して特別な状況ではなく、iPadを導入している学校では比較的よくある授業風景です。
音楽家ICTか、ではなくどちらも行っているということです。
とはいえ、こうしたアプリを利用した作曲活動だけでは「楽しい」だけで深い学びはありません。
実際に楽器に触れ音の出し方などを学ぶこと、音楽記号の意味を理解して楽譜通りに演奏すること、そしてその難しさ体感すること、音楽を学ぶ意義は音楽を扱うことだけでなく、人間活動の背景を知ることにあるのではないでしょうか。
教育について語る人
彼のような著名な社会学者であってさえも、初等、中等教育に関しては素人です。
こうした初等、中等教育に関して一家言を持っていて、訳知り顔で自分の考えを主張する人を見ることは少なくありません。
彼らの主張が全て間違っているとは言いませんし、個々の思想信条によって主張が異なることも理解はできます。
しかし、彼らは決して教育の専門家でもなければ、現場の教育に携わる関係者でもありません。単に自分自身や子供の経験から感想を口にしているに過ぎないのです。
もちろん言いたいことを主張するのは自由ですし、妥当性があれば教育現場に取り入れられる可能性もあるでしょう。
ただ、彼らの無責任な放言に関して注意する必要があるのではないでしょうか。