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授業中に水を飲むことを「許可」するか
たびたび教員界隈で問題になる話題なのですが、授業中の水分補給に関して私見を述べたいと思います。
むしろ、授業中に水を飲むべき
科学的、医学的観点から水を飲む行為は推奨されています。
厚生省のHPにも記載があるように、室内でのテレワークなどでも水分補給が重要で、のどの渇きを感じる前に水分を摂ることが推奨されています。
また、マスク生活においては呼吸数や体感温度が上昇し体に負担がかかるため、なおさら水分のこまめな摂取が必要との見解を出しています。
今と昔、教員の肌感覚といまだ残る抵抗感
かつては運動中に水分補給をしてはいけないなど、誤った風説が学校文化には流布されていました。
体育会系的非科学的な根性主義の産物とは思われますが、21世紀を迎えた現在では流石にその主張は通らなくなっているようで隔世の感があります。
したがって、体育の授業中や運動会の練習中に水分補給の小休憩を取ることは一般的なことになっているようです。
しかし、室内授業中においてはどうでしょうか。
授業中に水分補給タイムを作って飲ませるなど、一斉に時間を取ることもあるようですが、各自の判断でのどが渇く前に水分を摂る、ということに関しては抵抗の強い教員が多いようです。
個人の体験としても「○○君が授業中に水筒を飲んでいたので、休み時間に飲むように指導しました。」などの報告を受けることがあります。
それを私に報告されても困る…というトピックについては別記事を読んでみてください。
これらのことからも、教員の授業中における水分補給に関してセンシティブなのは間違いないでしょう。
まず、水分補給は絶対に「許可」するべき
前述のように、科学的医学的にも水分補給の必要性は明らかです。
また、授業中に一斉に取るというやり方は、少なくとも高校生には不向きでしょう。
各自で体調も異なりますし、そのタイミングと授業中の活動状況を自己判断するぐらいの分別はあるはずです。(あって欲しいし、身に着けるべきです)
とはいえ、最低でも必ず水分補給を「許可」すべきであり、これを撥ねつけることは重大な人権侵害に当たるということを教員は理解すべきです。
ただ、一つ気になることがあります。
それは「許可」する、という考え方です。
誰かが水を飲む行為を「許可」するという人権意識の低さ
学校文化で私が感じる違和感は、誰かに何かを「許可」する権利を無自覚に教員側が持っているということです。
水を飲む行為は生命維持活動においても自然な活動であり、そのことで誰かに迷惑をかける類のものではありません。
にも拘わらず、教員はそれを「許可」するという意識を持っています。
人間が水を飲むという行為は「自由」なものです。
それは何人にも侵されることのない権利であり、これを侵害することに痛痒を感じない学校や教員の人権感覚は極めて問題だと思うのです。
生徒の主体性を奪う根源
私は、学校現場における、本質的に自由な行動を教員が「許可」するという無自覚な人権侵害によって、生徒が「許可」を得ずには動けなくなる現象を生む、と考えています。
これこそが生徒の主体性を奪い、その結果が今日の日本社会が抱える問題の根源の一つとなっているようにさえ思うのです。
とまあ、偉そうに書いてますが、個人的に「許可」を振りかざすのが嫌いなのですね、私は…