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熱中症が大量発生しても練習を続ける異常な判断


山形市の中学校で13人が熱中症で搬送

山形市の中学校で体育祭の練習中に13人の熱中症が発生し、救急車で搬送された後も練習が続行されたという事件が報道されていました。

この日は熱中症警戒アラートが発令されており、そもそも練習を行うかどうかを判断すべき日でもあったようです。

山形県では先月も…

山形県では米沢市で先月、女子中学生が熱中症で死亡する事件が起きています。

こちらの事件では熱中症が危険視される日に部活動の練習を行ったことが悲劇につながったのではないか、という見方が多いようです。

今回はその悲劇的な事件から1カ月も経っていないにも関わらず、同じ県内で熱中症を軽く見た学校が体育祭の練習で起こした事件となるわけです。

なぜ練習を継続したのか、そもそも練習をすべきであったか

こうした事件の原因は明らかに教員の中に蔓延る体育会系的な思考と知識の欠如です。

以前の記事でも触れましたが、まとめると以下のようなものです。

  1. 部活(今回は体育祭の練習)をしないのはサボりという教員文化

  2. 「暑い」は甘えという脳筋思考の教員界隈に蔓延

  3. 熱中症は大した病気ではない、という医療知識の欠如

今回の事案であれば、複数名が救急搬送される状況で練習継続は明らかに誤った判断です。

また、一般的に、救急に連絡をする場合は管理職が判断を下しているはずであり、現場だけでの責任ではないでしょう。

さらに言えば、そもそも熱中症警戒アラートが出ている日に練習を行ったのか、もっと根本的にこの時期に練習をしなければならない体育祭のスケジュール自体が無謀ではなかったのかを再度議論すべきでしょう。
(実際、今回の事件でスケジュールを変更しているようです)

なぜ管理職まで誤った判断を下すのか

学校文化において体育祭などの行事を仕切る教員の多くは発言力が強く、また部活動などにも熱心な傾向が強いようです。

仮に継続が現場判断で行われたとすると、そうした声の大きい教員の存在があったのでしょう。

さらに言えばここ数十年の醸成によって、そうした人間が管理職に出世すること増加し、安全や論理よりも気合と根性が優先される文化は定着しています。

こうしたコンプライアンス軽視の傾向は労働問題に関しても深く影響しているように感じます。

教員の残業時間を管理せずコンプライアンスを軽視するような人間が管理する組織である学校において、生徒の安全を配慮したコンプライアンスよりもマージンを取る必要がある判断をできるのか。

正直なところ、それが可能だとは到底思えません。

今後も続く、防止策は強制力

これも以前の記事で述べましたが、こうした行事実施の判断を学校現場に下ろしても、どうにかやって続ける抜け道を探すところが出てくるだけです。

しかも彼らは教育、試練に打ち勝つ、という大義名分があると自負しており、自浄作用を期待しても難しいのが現実です。

文科省なりスポーツ庁なりが、一律にアラート基準違反は禁止とするしかないのではないでしょうか。

個人的にはプールの水で数十万円の被害を出した教員よりも、今回の練習の実施と継続の判断を行った教員の方がよっぽどその責任が重いのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

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