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札幌高裁同性婚判決に関して「誰の権利も奪わず、ただ幸せになる人が増えるだけの事」と発言する人への恐怖


同性婚問題

先日、札幌高裁で同性婚に関わる判決が出ました。

札幌高裁によると同性婚を認めないのは違憲である、という見解のようです。

婚姻について、24条1項は「両性の合意のみに基づいて成立する」などと定める。24条2項では、婚姻や家族に関する法律を「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としている。
 判決は、1項は「両性」という文言だけでなく、目的も踏まえて解釈すべきだと指摘。「人と人との自由な結びつきとしての婚姻をも定めている」と述べ、同性間の婚姻も異性間と同じ程度に保障されているとした。

しかし一方で幸福追求権や国家賠償請求に関しては微妙な判決となっています。

 ただ、国会が正当な理由なく長期間立法を怠ったとは言えないとして、賠償請求は棄却した。
 幸福追求権を定める憲法13条については「人格権として、同性婚の自由を直ちに保障しているとはいえない」として、合憲だとした。

裁判所としては現代社会の状況を踏まえると同性婚を認めるべき理由は存在するが、国会がその結論を現時点ですでに出しておくほどには議論が熟していない、といったところなのかもしれません。

辻愛沙子氏の発言

この問題に関して方々から意見を表明する動きがありますが、先日目に付いたのが以下のツイートです。

いわゆるリベラル的な人の発言としては非常に典型的なもので、左派メディアを中心に彼女が神輿として担がれているようです。

私自身の立場や考えとしては正直な話、どちらでもよい、というのが本音のところです。私自身が同性愛ではないようですし、友人が極めて少ない私の場合、婚姻制度に直接利害のある知人が現時点ではいない、というのもあるでしょう。

ただこの辻愛沙子氏の発言で一点だけ気になる部分があります。それは以下の一文です。

「誰の権利も奪わず、ただ幸せになる人が増えるだけの事なのに」

婚姻制度は誰のためのものか

そもそも婚姻制度は誰のためのものか、という問いに関して勘違いをしている人は少なくありません。

婚姻制度は「愛する2人を社会が祝福しよう、認めよう」というものでは決してありません。

婚姻制度はあくまでも子供を保護し、健全な成長環境を維持し、社会に還元するためのシステムです。

以下のリンクは今回の札幌高裁の判決に対して長崎大学准教授の池谷和子氏が書いたレポートです。

この中で池谷氏は婚姻制度と子供福祉への影響や家族間における価値観の継承、未成年保護や日本社会全体への影響などについて言及しています。

これを一通り読めば分かることですが、婚姻制度は個人の自由やお気持ちだけで、その時代のトレンドや流行の価値観で安易に弄ってよいものではない、ということです。

社会全体へ及ぼす諸々の影響、国家百年の大計を考えて判断すべき事案である、ということです。

そうした複雑な事情のある問題に対して、「誰の権利も奪わず、ただ幸せになる人が増えるだけの事なのに」という薄っぺらな見識をいい年をした大人が安直に発言すべきではないですし、そうした発言をこれまた安易に取り上げるマスコミと呼ばれる人達には嫌悪感を抱いてしまいます。

子供福祉を最大限に考慮すべき

繰り返しになりますが私自身、同性婚に反対、という立場ではありません。この手の問題においては読解力の無い人達が反応するきらいがあるため改めて書いておきます。

ただ、同性婚の問題を語る上では、婚姻関係を持ちたいという当事者である成人の2人の意思よりも子供の福祉や権利を重視すべきだということです。

それらがしっかりと保護されるような制度設計を成された大前提での制度の組み換えでなければ許されない、という立場だということです。

少なくとも「誰の権利も奪わず、ただ幸せになる人が増えるだけの事なのに」といった浅はかな思考で決定すべき内容ではない、ということなのです。

こうした一個人の感想レベルの主張がネットに飛び交い、マスコミが取り上げ、安直なリベラル自慢が横行することに対してただただ恐怖をするのです。

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