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「一日がかりの運動会」は昭和の家族モデルを前提としたイベント


「一日がかりの運動会」復活

コロナ禍によって学校行事が大きく削減されました。

その代表的な例の一つが運動会です。

これまでは終日、お昼ご飯をグラウンドで食べてその後も競技を午後まで行うというスタイルでしたが、コロナによる影響で短縮、昼食をはさまない実施に切り替わりました。

そうした開催方法から一転、コロナ自粛解禁を受けて本年度からは終日で実施する学校もあるようです。

終日の方が生徒の参加する場面が多く、教育効果が高いという主張もある一方で、働き方改革や熱中症など近年顕在化した問題の対策という観点から短縮実施を維持する学校が大半である、と記事内にあります。

私の勤務校も短縮実施を行いましたが、教員側の負担は大きく軽減されていますし、生徒側も塾や習い事、プライベートの用事などで長時間の練習や終日実施を望まない声も大きくなっており、現代に即した実施方法であるように感じます。

今回はそうした教員や生徒、教育的観点ではなく参観する保護者の観点から運動会の終日、短縮実施を考えてみたいと思います。

各家庭からのサポートが不可欠

運動会はテントを大量に立てるなど多くの準備が必要です。

また昼食の準備、場所取りなど家庭への負担をかけることで成立していました。

ところが近年は核家族化、共働き世帯の増加(というよりも大半)により、平日の準備における協力は非常に難しくなっています。

また生徒の家族同士のつながりが希薄になっており、当日の朝の場所取りなどもトラブルの原因となる可能性が高くなっています。

さらに当日の昼食の準備も前日も遅くまで仕事があった保護者には大きく負担になります。

その上、一人親世帯も増加する中で他の家族の隣で昼食を取ることに対して複雑な感情を抱くケースもあるようです。

加えて衛生的な観点からも砂埃が舞うグラウンドで昼食を広げることに抵抗を感じる人も少なくありません。

それだけでなく、終日実施を行う場合、夕方まで拘束をされることからも、休日一日を学校行事につぶされてしまうのは現代の核家族家庭には大きな負担となります。

昭和の価値観

昭和の時代、家庭には専業主婦などの家事分担者、しかも祖父母も同居するなどの状況であればそうした負担は軽減されていたでしょう。

平日の準備手伝いなども専業主婦の母親の力を借りることができたでしょうし、当日のお弁当なども無理が無いシステムだった(もちろん準備は大変ですが)ように感じます。

まさしく昭和の家庭を前提したシステムで行事を運営していたわけです。

しかし、現代においてはそうした社会システムは崩壊しつつあります。

夫婦共働きは大前提ですし、一人親家庭も少なくありません。祖父母に家事育児を分担してもらうことも難しく、その結果学童保育には子供たちがあふれています。

もはやこうした昭和モデルを前提とした行事が時代にそぐわなくなっているのは間違いないでしょう。

良し悪しではない

こうした変化は良し悪しではなく、もはや時代の必然なのでしょう。

日本における女性の社会進出と労働力不足は解決すべきイシューであり、その流れは止めようがありません。

一方で学校はいまだに昭和の価値観で保護者の協力をお願いしたり、前提として行事を行っている傾向がないでしょうか。

教員の長時間労働や部活動の休日実施などもそうした価値観が表面化したものの一つでしょう。

学校文化のアップデートこそが急務なのかもしれません。

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