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インクルーシブ教育に関する国連の勧告と日本の入試制度改革
先日、障害者教育に関して国連から勧告が出されています。
日本では障害者に関する教育は特別支援学校の枠で行われてきました。
しかし、欧米ではインクルーシブ教育と言われる健常者とともに学ぶスタイルが一般的となっています。
そして、日本のそうした政策が障害者と健常者の分断を生み、ともに学ぶ権利を侵害している、というのが国連の勧告の主な内容です。
ここでは高校や大学制度とインクルーシブ教育、特に知的障害の方の教育について考えたいと思います。
欧米との学校制度の違い
私自身、小中学校の頃を思い返すと知的障害のある同級生が普通に学校内に存在しました。
その同級生に関していえば、小学校低学年の頃は子供の目線ではわからなかったのですが、高学年になるころにはおそらく知的障害なのだろう、と気づいていました。
しかし、普通に中学校までは一緒に机を並べていた記憶があります。
ところが高校になるとそうした知的障害の生徒はいなくなります。
当然大学でもそうした学生を見ることはありません。
一方で、欧米では知的障害の生徒が高校や大学でも一定数は存在しているようです。
この原因は様々ですが、直接的な原因は学制と入試制度の違いでしょう。
高等学校は中等教育機関だが入試が存在する
欧米の多くの国では日本の高等学校まで義務教育としていたり、入学段階では入試を行っていないケースがほとんどです。
アメリカでは高校受験は存在せず、高校までが義務教育となっています。
また、卒業要件も基本的には単位制であり、学年制の日本とは状況が大きく異なります。
また大学受験でも、基本的には個別の筆記試験というのは存在せず、SATなどの統一試験と面接やエッセーなどで決定します。
また、障害者への門戸が開かれており、そうしたサポートも法律で義務付けられているようです。
EU諸国の多くも同様の制度のところが多く、少なくとも日本のように筆記試験による得点での選別を高校で行っている国は少ないようです。
ところが、日本の場合は高校受験は筆記試験の得点で結果が決まるため、知的障害の人は非常に不利な入試制度となっています。
必然的に、高校入学時に知的能力に応じて分断が発生することになります。
というよりもむしろ、日本における学制は制度設計上、知的能力による分断を複数回行い、社会を疑似的に階層化することを目標としているとさえ見えます。
高等教育で排除される障害者と入試改革
結果として、入試が教科得点の競争になる以上、知的障害者が高等教育を受ける機会は高校受験、大学受験と二度のスクリーニングでほとんど不可能となる仕組みとなっているわけです。
そして、こうした状況を国際基準に合わせようとする試みこそが、現在行われている大学入試改革であり、推薦選抜や総合選抜の枠の拡大なのではないでしょうか。
一般入試と推薦、総合選抜の入学者割合を均等化することで、高等教育機関の門戸を広げ、多くの人が大学での学びを享受できる仕組みを作るという目的での改革なのでしょう。
そして、その多くの人の中に障害者も当然ながら含まれているのでしょう。
大学の選別とインクルーシブ教育のどちらも解決?
一方で、旧帝国大学などの一部の大学は、フランスのグランゼコールのように学力を最低基準のラインとして今後も入学を厳しく制限する可能性は高いと考えられます。
つまり、高等教育制度をエリート育成機関とそれ以外に分けていくという方針です。
実際、指定国立大学やスパーグローバル大学制度はそうした大学の選別を行うことを目的としていることがよくわかります。
はたして、そうした試みがすべてうまくいくかどうかは不明ですが、一石二鳥での問題解決を考えているとすれば、日本の官僚機構はまだまだ優秀なのでしょう。
(それらの英知が自己防衛を主目的にしているのが問題ですが)
今回の記事は自身の知識不足もあり、自分の考えを整理するために書いていますので、間違い等に関してはご容赦ください。