「園の責任は重い」という発言の「軽さ」
大阪府岸和田市の、保育所に送り届け忘れ女児が死亡した事件に関して、小倉こども政策担当大臣は「園の責任は重い」という発言をしました。
この事件、もちろん第一には保護者の責任が最も大きいのは言わずもがなです。
私自身も就学前児童の保護者として背筋が凍るような事件ですし、親の責任の重さを痛感するとともに、普段の行動を深く反省させられました。
保育所に責任は無いのか
たしかに、保育所の管理責任としても登園していない園児の所在確認に漏れがあったことは事実です。
しかし、保育所の責任という意味では、あくまでも保護者の次であり、今回の場合は双方のミスが重なったことで事件が起きました。
ですから、積極的に保育所の責任を問うのはなかなか難しいでしょうし、これをもって登園バスの閉じ込めと同じ扱いをするのはあまりに不条理です。
現役閣僚の発言の重み
そんな中、世論の空気を読んで発言をしたのがこども政策担当大臣の小倉將信氏です。
彼は今回の事件を受けて「園の責任は重い」という発言をしました。
確かに、保育所側が所在確認を行っていれば救えた可能性はありますが、それは日中に保護者に速やかに連絡が取れたらの話です。
私自身、教員をする中で保護者連絡をすることがありますが、日中にきちんと連絡を取れるケースばかりではありません。
もちろん責任が無いわけではありませんし、保育所としても対応に関する反省と改善は必要でしょう。
しかし、現職閣僚の「責任は重い」という言葉は他の人間が発したのとは全く意味が異なります。
保育園や幼稚園に思い責任と新たな業務フローを押し付けるだけの強制力を持っているからです。
低待遇労働者に責任と煩雑業務を押し付ける社会
先日も兵庫県の西宮で看護師が老人の転倒に関して、予見できたにも関わらず注意を怠ったとして敗訴しています。
この件も確かに看護師として注意義務や責任は存在するものの、複数の患者からの要請が重なったケースでもあるため一概に看護師や施設側を責めるのはあまりに酷のように思います。
どちらの事件もそうですが、日本では教育、医療福祉系の労働者に責任と煩雑な業務を押し付け、低賃金で遣り甲斐搾取をすることが常態化しているようです。
人の命を扱う責任を負わされているにも関わらず、保育士の平均給与は24万円に過ぎないのです。
保育制度の欠点
今回の場合、保育園のマッチングが正常に機能せずに兄弟で異なる保育園に通わせる必要があったことも原因にあるようです。
待機児童数や自治体規模によって左右されるものの、こうした問題は日本中で発生しています。
「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が流行って何年も経ち、待機児童数は当時の2割ほどになったという調査もあります。
しかし、これはエリア外の保育園を辞退した場合は特定の施設を希望する世帯とカウントされるなど、実際よりも少なく測定される指数となっています。
自治体によっては育休退園(下の子の育児休暇中は、上の子を保育園から退園させなければならない制度)なども未だ残っています。
今回の事件の岸和田市も待機児童数が未だ高い水準を保っており、行政の対応が間に合っていない地域のようです。
閣僚の発言の軽さ
「園の責任は重い」という小倉こども政策担当大臣にの発言や「必ずしも黙食は求めていない」という永岡文部科学大臣の発言かからも感じることですが、立場の重さとは対照的にその言葉があまりにも軽く感じます。
彼らの発言は現場の仕事に大きく、しかも即座に影響を与えるということを自覚してほしいところです。
(倫理的な問題はあれども、影響だけを考えれば死刑ハンコ大臣のほうがまだマシとも言えます)
今後、同様のことに対しマスコミは蛇蝎のごとく書き散らし、それを真に受けた人たちのクレームで現場の負担を増やしていくことでしょう。
政治家、特に現職の閣僚にはそうした影響を自覚した発言を期待したいところです。