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授業をしない令和の教育における、一斉授業の「使わない授業力」の重要性
カリスマ講師の時代
カリスマ講師の授業がもてはやされた時代がありました。1990年代の予備校ブームはその代表例です。
私のような40代の人間の高校時代などはその時代真っただ中で、そうしたカリスマ講師の存在が最も輝いていた時代だったかもしれません。
私の住む熊本にも当時は代々木ゼミナールの校舎が存在し、福岡校を中心にした有名講師が講義に訪れていました。
当時、九州の代ゼミで数学講師として最も有名だったのは定松勝幸先生で、彼の授業を体験的に受講しただけではありましたが、非常に分かりやすく感銘を受けたのを今でも覚えています。
(ただ予備校としての雰囲気が個人的には合わずに入塾することはありませんでしたが。)
定松先生は今も福岡でご自身の予備校を運営されています。
彼のようなカリスマ講師の授業では、場合によっては立ち見がでるほどでした。(はたして授業を立ち見して効果があるかは疑問ですが)
私が受験生だった90年代後半はインターネットの黎明期で、情報収集の手段としては未発達で口コミが主流でした。
そのためカリスマ講師と呼ばれる人の授業を受けることは受験のノウハウを知る手段の大部分を占める要素となっていました。
学校の教員の場合、私が知る限りではそこまで「カリスマ」的な指導者はいませんでしたが、中には授業の巧みな先生がいました。
そうした人の授業を受けることが大学受験において大きなアドバンテージになったことは否定できない事実でしょう。
教えない授業の隆盛
翻って現代においては「教えない授業」が隆盛を誇っています。
討論やグループワーク、自学の確保など学習が個人の学習行為に結びついて成果が上がることが多くのエビデンスから示されたからです。
そしてカリスマ講師の価値も低下しました。もちろん一部の超カリスマ講師は別格であり、彼らは動画授業で多くの生徒から支持されています。
しかしそれ以下の一流講師は動画によって代替できるようになりました。
その結果、予備校の校舎は規模を縮小し、学校は主体的な授業による教員主導型から生徒中心型の授業形態へ変化します。
もちろんそれが全てではありませんが、授業者としての教員の存在感は明らかに薄くなり、教員に求められるスキルも変化しました。
いわゆるファシリテーターとしてのスキルが重要視され、トラディショナルな一斉授業型の授業スキルの価値は相対的に低下したわけです。
つまり現代において一斉授業のスキルは「使わない授業力」と言えるかもしれません。
使わないスキルが必要という矛盾
こう聞くと、では授業者はもはや一斉授業スキルを伸ばす、磨く必要はないのではないか、と考える人は多いでしょう。
確かにスキルが低い授業者が、かつてよりも授業を一通り回せる状況が増えたのは事実です。
簡単なガイダンスは別としても、授業動画を授業時間に流せば難しい説明は回避できますし、上手く場回しをこなせれば50分が過ぎ去るでしょう。
しかし、果たして生徒側はそうした教員に信頼感を置くでしょうか、質問をしようと考えるでしょうか。
間違いなくその答えなNoです。受験生、特にある程度学力に自信のある生徒は自分よりも学力の無い(あるいは無いように見える)教員を信頼しません。
そのためそうした生徒の信頼感を高め、授業効果、指導効果を最大限に高めるためには授業スキルは必須なのです。
分かりやすい授業を提供することで信頼感を高め、授業効果を最大化することが必要となるということです。
つまり、使わないスキルだが、必要性は高いという矛盾を抱えていることになります。
これは一斉授業スキルが低い教員が個別に対応して信頼感を高めるという手法も存在します。
しかしそれでは時間がかかりすぎる上に、ある程度の少人数が必要条件となるというデメリットを抱えることになるでしょう。
一斉授業スキルを高めやすい時代
ところが現代は私たち教員側の視点に立った場合、授業スキルを高めやすい時代になってもいます。
なぜならば、予備校の超カリスマ講師の授業などを自宅を含むあらゆる場所で視聴できるようになったからです。
上の動画は代々木ゼミナールの荻野暢也先生の解説授業です。クセは強いですが彼の授業は唸るものがあります。
こうした動画の視聴は同僚の授業を参観するよりもよっぽど授業内容に関しては学びが多いでしょう。
(同僚の授業を参観すること自体を否定するものではありません。レベル別の指導配慮や目配りなどリアルでないと学べないこともあります。)
また書店に行けばかつてとは比較にならないほど多数の参考書が並んでおり、そのほとんどが20年前のそれと比較して圧倒的に高い品質となっています。
そうした動画や参考書を丸パクリするだけでも授業スキルは大幅に向上するはずです。
たしかに現代においては一斉授業スキルは使いどころの少ない武器となってしまいました。
しかしそんな時代だからこそ、依然として伝家の宝刀としての価値は存在し、いざというときには必殺の一太刀として使えるスキルとして磨く必要があるのではないでしょうか。