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【題未定】散髪へのこだわりとコスパを考える【エッセイ】
つい先日、散髪に行った。私は生来、頭髪の量が多く速く伸びる(定量的に伸びる速度に差があるのかは不明だが、速いという実感はある)こともあって、1か月程度で散髪時期を迎える。
30代の前半までは散髪をする店にこだわりがあった。独身時代は言うまでもなく、結婚してからも子供がいない間は様々な店 を訪ねたものだった。
今までで最も良い散髪体験をできたのは予約制、その時間は一人のみの貸し切りとなる理髪店だ。散髪の技術もさることながら、頭皮のクレンジングやマッサージなど至れり尽くせりであった。店内も非常にお洒落で、何よりすべての工程を店主が一人で行うため、技術的な振れ幅が少なくリラックスして過ごす時間が得られた。
非常に気に入っていたのだが、ある時点から通うのを止めてしまった。その理由の最も大きなものは費用である。確かに日常を忘れた体験ができ、リラックスすることは可能であるが、正直なところそこまでのものを求めていないことに気づいてしまった。男性の一回の散髪に5千円以上、それを月一回通うのは流石に勿体なく感じてしまったのだ。
このコスパに気づいたのはコロナ禍である。コロナ初期のころは外出さえためらわれる状態だった。当然ながら散髪に出かけることもできず、自宅でバリカンやハサミを購入し、見えるところは自分で調髪を、後ろなどは家人に頼んでしていた。眉毛やもみあげを整えるのも電気シェーバーでどうにでもなることに気づくと、理髪店でそれなりの金額を支払うことに抵抗が出てきたのだ。
その後は理髪店ジプシーとなり放浪の旅に出る。髭や眉を整えることも考えると美容室よりも理髪店を希望していた。昨今は頑固おやじの床屋とはかけ離れた、おしゃれ系の理髪店も少なく無い。そうした店舗へも何度か足を向けたが定着することはなかった。結局のところ、1時間という短い時間に対して高い金額を払うことの価値を見出せない自分に気づいてしまったからだ。
オンラインのクーポンで複数の理髪店、美容室を理利用してみるも、次回以降のコストを考えると続くことはなかった。正規の料金を支払ってまで通う気持ちにはならなかったのだ。どうやら私にとっての散髪はあくまで身なりを整える作業に過ぎず、それ以上の付加価値を必要としてはいないようだ。
家人の、あるいは職場など知人に話を聞くと、どうも女性は美容室の時間を非常に価値あるものに感じているという。日常から切り離された空間で、髪を切り、容姿を整えるという時間というのは精神的な活力を得る貴重な体験なのだと。だからこそ、人気美容室の多くは内装にこだわり、特別感のある「非日常」を演出するのだろう。これは男女の違いもあるだろうが、昨今のお洒落理髪店の存在を考えると個人の気質や考え方によるところも大きいのかもしれない。
そんなわけで最近は1000円カット(物価上昇で昨今は1500円近くになっているが)を利用している。髪を切るだけ、洗髪やマッサージなどの付加サービスは一切存在しないが、切るということだけを目的とするならば十分である。(散髪後、掃除機のようなもので切った髪を吸引はしてもらえる)
こうした格安理髪店の技術やセンスに心配を抱く方も多いだろう。しかしながら、余程こだわりがない限りは十分に注文に対応してもらえるし、仕上がりも上々である。高級店と比較して、頭髪だけを見てその差を探すのは難しいだろう。
何に時間やコストをかけるかはその人の価値観次第である。決して5000円でカットする理髪店やその利用者を否定するつもりはないし、その価値を感じ、納得をしているならばそのお金の使い方は理に適っている。私という個人においては、そうした時間にコストを支払うことに価値を見出せなくなったというだけだ。
例えばカメラを購入することにそれなりの金額を使った。しかしこれこそ、ほとんどはスマホで済むはずのものに云万円を使うことは興味の無い人にとっては正気の沙汰ではないであろう。大事なことは自分の信じる価値のあるものにコストをかけることなのではないだろうか。