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むしろ「学びたいものが決まらない」状態で進学すべき
私は私立高校に勤務していて、大学への進学指導関係の仕事を担当しています。
少し前から「キャリア教育」と銘打った志望動機を自分で考えていこう、といった進路学習が一般的になっています。
ベ〇ッセやリ〇ルートから提供される進路学習用の教材もかなり充実しており、最近はオンラインで適性判定が出るようなシステムも広がっています。
三十代ぐらいの人ならば、高校のときにそのような学習をした記憶がある人も多いのではないでしょうか。
ベ○ッセの指導情報冊子には、自分の適性やなりたい職業を調べ、モチベーションが高まったため進学実績向上に繋がったというキャリア教育成功事例にあふれています。
このような記事を読むたびに、風が吹いて桶屋が儲かるほどではありませんが、少年誌の広告欄に載っている筋トレグッズを買ってモテモテになるエピソードを私は連想してしまいます。
キャリア教育に効果があるのか
さて、職業研究をそれほど熱心にすることは、大学進学者のキャリア形成に効果があるのでしょうか。
たしかに、どんな職業があるか、進学に際しての文理の選択、大学で学ぶ学問分野の概要ぐらいは知っておく必要があります。
しかし、近年はそれを超えた「自分がどれだけその仕事に就きたいか」を細かく自己分析させ、長々と作文させる傾向が強いように感じています。
正直、この行為にどれほどの効果があるのか…
仕事に就いた動機
そもそも、今の大人たちが現在の仕事に就いた、その動機は何であったでしょうか。
私は教員をしていますが、正直絶対に先生になりたいと考えたことは一度もありません。
もちろんその選択肢は残していましたが、塾や予備校などの仕事にも興味がありましたし必ずしも教育関連の仕事しか考えなかったわけでもありません。
行政職などの一般公務員や銀行、証券会社など金融系への就職も考えていたくらいです。
このようなケースは決して少なくないように思います。
にも関わらず、どうして高校で全てを決めてしまうのでしょうか。大学に入ってから仕事を探すのでは遅すぎるのでしょうか。
現代社会は複雑すぎる
さらなる問題があります。
高校生が調べ、自身の将来を考えるには現代社会は複雑化しすぎているという事です。
高度な技術や経済産業の仕組みを理解して、職業選択をすることは入試の学力を高めるよりも難しいように思います。
また、進学を予定している生徒達は将来的にその仕事しかしないのでしょうか。
AIが人間から奪う職業、などという話等が出てくるように、技術の進歩は職業の有り様を大きく変化させます。
一人の人間が一生同じ仕事し続けるという状況は今後ますます減少していくはずです。
適応力と柔軟性
そうであれば、今のベストな進路を探すよりも、次の進路決定のために自由な選択ができるための適応力や柔軟性を養うことの方がよっぽど現実的ではないでしょうか。
確かに、医療系など進学した時点で職業を選択するのと同義な道もあるでしょう。
しかし、それ以外のものに関しては大学での学びや研究を通して選ぶほうが最適解に近い選択を得られるように思います。
何に興味を持つか、より何にでも興味を持てる
何か特定の方向に興味を持った生徒を大学へ送り出すことを否定しません。
しかし、何物にも興味を持てる生徒を送り出すことこそより重要なことのように考えています。
むしろ「学びたいものが決まらない」状態での進学こそが理想なのかもしれません。
だからこそ、教員である私自身が常に興味の幅を広げ、多方面に関心を持つ必要があるのだと思います。
そんなわけで、私は夜ごと、自分の興味を広げるためにネットの海へと航海に出るのです…