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題未定という題のエッセイ【エッセイ】

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私のエッセイをまとめます。週1で更新予定。
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2024年12月の記事一覧

【題未定】デジタルかアナログか?学校現場が模索する共存の形【エッセイ】

 ICT教育が日本全国に広まったのはこの数年だ。コロナという突発的なトラブルからのGIGA前倒…

【題未定】愚者の目には愚者が映る【エッセイ】

 先日、滋賀医科大学の学生の強制性交に関する事件に関しての記事を書いた。その中でSNSを見…

【題未定】無敵の人と日本社会:安全神話崩壊の現実【エッセイ】

 先日、北九州市において中学生二人に対する殺傷事件が発生したのは誰しもが知るところだろう…

【題未定】済々黌の歴史にみる熊本の教育と政治の交差点【エッセイ】

 前回、熊本大学医学部の歴史に関して書いていると、熊本を代表する高校、済々黌が関わる箇所…

【題未定】消えかけた灯火を繋いで:熊本大学医学部の知られざる歴史【エッセイ】

 先日、散歩中に熊本大学医学部の前身である私立熊本医学校創設の地を見かけたのでnoteに投稿…

【題未定】強制される承認欲求:「BeReal」が招く社会的リスク【エッセイ】

 少し前から「BeReal」なるスマホアプリが十代の若者を中心に流行している。アプリそのものは…

【題未定】悠仁親王殿下への嫉妬と日本の歪み:赤門信仰者たちの滑稽さ【エッセイ】

 先日、悠仁親王殿下が筑波大学の推薦入試合格が報道された。この結果に関しては個人的には非常に喜ばしいことだと思う。かねてから噂されていた東京大学(三流週刊誌が勝手に囃し立てていただけなのだが)ではなく、研究機関として偏差値の輪切りからある種隔絶された筑波大学を進学先とされたのは非常に良い選択だったのではないかと個人的には考えている。  アンチ達のSNSや各種報道機関では論外の愚見や三文記事で話題となっているようだ。いわく東大を諦めた、コネ、忖度、出来レースと不敬極まりない言

【題未定】若き日の夏、スーパーで得た社会の縮図」「ラッピングから学ぶ職業の基本【…

 大学時代、最も記憶に残っているのはアルバイトのことかもしれない。もちろん放蕩学生だった…

【題未定】SNS時代の高校生—「クズ」な若者の成長と変化【エッセイ】

 遅刻をする、提出物の期限に遅れる、勉強時間が確保できない、ついついスマホに手を伸ばして…

【題未定】信仰か、歴史か——寺社仏閣を巡るもう一つの視点【エッセイ】

 先日、知人に朝から散歩をしていて寺社仏閣巡りをしていることを話したとき、「信仰心が強い…

【題未定】観光地熊本でSuicaが使えない――ICカード廃止がもたらす影響とは【エッセ…

 熊本県内で路線バスを運営する4社が、全国ICカード(SuicaやICOCAなど)の先月中旬から利用…

【題未定】教員という仕事の裁量と責任:その適性を考える【エッセイ】

 学校の教員という仕事は他の職業と比較して異なる点の多い職業である。もちろん職務内容その…

【題未定】リスキリングは朝の散歩から【エッセイ】

 最近、早朝5時ごろから毎日1時間ほど散歩に出かけている。雨が降る日以外は必ず行くことにし…

【題未定】小学校で『できる子』だったのに──進学率が語る現実のギャップ【エッセイ】

 教員という仕事の業務の中に「保護者面談」というものが存在する。生徒の状況などの情報交換や進路選択に関する情報提供などを目的としたものだ。その面談の中で、いわゆる勉強がそこまで得意でない生徒の保護者から出る言葉が「うちの子は出来てたんですよ」というものだ。  親の立場になった今となってはその言葉を発する感情的な部分は十分に理解できる。しかしどうやらその言葉は感情的な部分だけで出たものではなく、その人なりに根拠のあるもののようなのだ。さらに詳しく話を聞くと、その根拠は「小学校