下関・小倉・門司の旅 その③ ~和同開珎鋳造地・城下町長府~
下関・小倉・門司の旅二日目は未見の国宝を目的に城下町長府地区を訪れました。
ここは高杉晋作が維新の決起をしたことから「維新発祥の地」とされるほか、国宝の功山寺、毛利氏の邸宅や墓所などの見どころがあります。
この回では城下町長府の概要をご覧いただきます。2023年9月
※この記事は前回の続きです。前回をお読みでない方は下記のリンクからどうぞ。
■このnoteを書いている人:"sho"@かまふち管理人
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。鎌倉で外国人向け観光ボランティアガイド(英語担当)もしています。
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■下関駅からバスで城下町長府へ
下関駅前からバスに乗り城下町長府バス停で降りて交差点を左折すると「維新発祥之地」と刻まれた石碑があります。
今回はここから城下町長府を歩きます。
■バス停を降りて少し手前に長府観光会館があるので、ここで地図などを入手してから歩き始めるのもよいでしょう。
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最初に訪れたのは忌宮神社です。
この神社は長門の国の二宮であり、祭神は仲哀天皇とお后の神功皇后、そして応神天皇です。古事記や日本書紀にも記述がある大変歴史のある神社です。
■忌宮神社
所在地:下関市⻑府宮の内町1-18
電話番号:083-245-1093
■応神天皇、神功皇后を祭った大分県の国宝宇佐神宮については下記リンク先を参照してください。
忌宮神社を出て次に訪れたのは乃木神社です。
長府藩士であり陸軍大将や学習院長を務めた乃木希典は、江戸の長府毛利邸で生まれ、10歳の時に長府に戻りました。
乃木神社近くには復元された旧乃木邸や、境内には乃木夫妻と愛馬の像があります。
社殿に向かって左にはさざれ石や、御神水である乃木希典旧宅の梅の井から汲んだとされる「乃木の名水」のほか、宝物館などがあります。
■土塀の町 長府
乃木神社を出て長府の町を歩きます。現在の長府の町並みは、土塀や長屋門、武家屋敷などが整備され、城下町としての美しい景観が保存されています。
中でも横枕小路とよばれる細道は城下町の雰囲気をよく伝えており、長府の見どころとしてよく紹介されるところのひとつです。
■国分寺跡・和同開珎・毛利家墓所
「長府」は長門の国の国府がおかれたことから名づけられましたが、国分寺もここ長府に置かれていました。
現在は国分寺跡の石と説明版が残るのみとなっています。
乃木神社の裏手、国分寺跡の石の斜め前にある吉岡家長屋跡も武家屋敷の雰囲気をよく残す建物のひとつです。
法輪山覚苑寺に移動します。ここは長府藩主第三代毛利綱元公が創建した黄檗宗の寺院で、古代の貨幣である和同開珎を鋳造していたとされる場所の跡地に建てられています。
また、覚苑寺の庫裏はかつて長府藩の本拠であった勝山御殿の玄関を移築したものといわれています(写真なし)。
ここ覚苑寺は歴代藩主の崇敬が厚かったことから長府毛利家菩提寺の一つとなり、境内の奥に墓所があります。
案内板に従い毛利家墓所に向かいます。墓所は3か所ありますが、最初に登場するのは長府藩6代藩主毛利匡広(まさひろ)公の墓所です。
暫く進むと長府藩13代毛利元周(もとかね)公の墓(右)と妻(智鏡院(ちきょういん))の墓があります。
毛利元周公は坂本龍馬を高く評価し、金品を与えその活動を高く評価しました。
13代毛利元周(もとかね)の墓の左側、一段高いところに3代毛利綱元公の墓があります。
毛利家墓所は3か所あります。功山寺および笑山寺は詣り墓(まいりばか。遺体を埋葬していない参詣するための墓)であるのに対し、覚苑寺は他の2か所と違い実際に遺体が埋葬された「埋め墓」となっています。
もう一つの毛利家墓所や国宝の仏殿がある功山寺については続編でお届けします。
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