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国宝「翰苑」を見に福岡へ(その3)太宰府天満宮~大野城跡~太宰府の里
新型コロナウイルス感染症も落ち着きを見せてきていることから、久しぶりに遠征することにしました。行先は福岡。なぜ福岡を選んだのかといえば、なかなか公開される機会のない太宰府天満宮所蔵の国宝「翰苑(かんえん)」が公開されるからです。
そして、100名城の福岡城やその他の未見の国宝も併せて見るために出掛けることにしました。
この記事は前回の続きです。前回をお読みでない方は下記のリンクからどうぞ。
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sho
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒、折り畳み自転車などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。
■2日目の朝は4時半起きで
◆まずはしっかり朝食を
福岡旅行2日目は4時半起きで、前日夜にコンビニで買っておいたいなりずし、インスタント味噌汁、燻製たまご、そしてヨーグルトをホテルの部屋で食べました。
なぜこんなに早起きをしたかというと、この日出かける予定の太宰府天満宮は九州を始め日本でも指折りの有名な神社です。境内はもちろん参道も含めて大勢の人出で賑わうことでしょう。
そのため、出来れば人のいない状態で本殿の写真を撮りたいと思い、午前7時には現地に到着しようという考えから逆算してこの時刻での行動開始となりました。
◆西鉄で行くか、JRで行くか
太宰府天満宮に行くには、博多駅で地下鉄に乗り天神駅で下車して西鉄福岡駅で西鉄に乗り替えるのが一般的でしょう。しかし、早朝のため鉄道の運行本数がまだ少なく、そのためJR博多駅からJRを利用することにしました。
JR博多駅5時10分発の鹿児島本線に乗り春日駅で下車し、春日原(かすがばる)駅で西鉄に乗り替えますが、春日駅と春日原駅は離れているため7~8分ほど歩くことになります。
↓JR春日駅のと春日原駅の位置関係↓
時刻が早いせいなのか、あるいはそもそもなのかはわかりませんが、JR春日駅に駅員さんはいません。駅の出口のドアに貼ってあった春日原駅までの案内図を頭に叩き込み歩き始めました。
冬至間近の冬の街はまだ夜が明けず、暗い中を7~8分程度歩いて春日原駅に到着しました。前日のスマホの歩数計は3万2千歩を超えました。この日も3万歩程度までは数字が伸びるのではないかという予感のなか、暗がりの街を歩きました。
◆人がいないはずの太宰府天満宮 その前にトラブル
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西鉄二日市駅で電車を降り、太宰府駅方面への乗り換えホームへ移動します。待ち時間の間に電車の写真を撮っておこうとカメラに手をやろうとすると、ない!首から下げているはずのカメラの姿がどこにも見当たりません。なんと、大切なカメラを電車の中に置いたまま駅に降りてしまいました。
駅員さんに事情を説明し、先ほど乗っていた電車の車掌さんに連絡を取ってもらったところ、どうやらそれらしいものがあるとのこと。太宰府駅行の列車の発車時刻は迫っていますが、やむを得ず自分が乗っていた電車が終点で折り返し、二日市駅に到着するのを待つことになりました。
朝7時に太宰府天満宮に行き、誰もいない本殿を撮影しようという目論見は早くも音を立てて崩れ去りました。
二日市駅で折り返しの電車を待っていて気付いたのですが、朝7時の時点ではまだ太陽が顔を出していませんでした。7時に神社に行っても暗がりで撮影することとなり、なんだかよくわからない写真になっていたことでしょう。
やがて折り返しの電車が到着し無事カメラが手元に戻りました。駅員さんに十分お礼を言い、太宰府行きの電車に乗ります。車掌さんにもこの場を借りてお礼を申し上げます。お手数をおかけしました。ありがとうございました。
■人がいたけどいいこともあった 太宰府天満宮
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◆初めて来た太宰府天満宮
予定よりも1時間以上遅れて太宰府駅に降り立ちました。幸い参道が人であふれ返るようなことはまだなく(そもそも参道の店がまだ開いていない)、はやる気持ちを抑えて太宰府天満宮に到着しました。
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最初に私を迎えてくれたのは御神牛です。太宰府天満宮の祭神である菅原道真公が丑年生まれであることなどから、境内には牛の像が数多く奉納されています。
「御牛神の頭を撫でると知恵が授かるという信仰がある」ということは、今この記事を書くに当たって太宰府天満宮の公式サイトを確認して初めて知りました。そうとは知らずに御牛神の頭を撫でることはしなかったので、頭が良くなる絶好の機会を逃したことを大いに後悔しながらこの記事を書いています。
御神牛の前で左に曲がり先に進みます。「心字池に架かる三つの赤い橋は、ひとつ目が過去で、ふたつ目が今」を表しているそうですが、みっつ目の橋で転びそうなり初めてその手に触れた同行者がいるわけでもなく、その右側にある志賀社の写真を独り撮影します。
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志賀社は和風・唐風・天竺風の様式が合わさった精巧な作りで、かつては豪華絢爛な彩色が施され、その姿はまるで工芸品のようであったとのこと。本殿と並び国の重要文化財に指定されています。
◆偶然の遭遇 朝拝神事
楼門をくぐって本殿のある神域に入ると、参拝客の皆さんが立ち止まっているではありませんか。そして、神職の方が、本殿に向かってではなく参拝客に向かって御幣を振り参拝客は皆頭を下げているので私も同じように頭を下げました。
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後ほど係の方にお話を伺ったところ、毎朝8時30分に朝のお参りである朝拝神事を行っており、神職・巫女と一緒に「大祓詞(おおはらえのことば)」を述べ、お祓いを受けられるとのこと。
電車内にカメラを忘れて想定していた午前7時に神社に到着できなかった効能がこんなところにも表れた結果となりました。
当宮公式Instagramではこの朝拝神事の様子を不定期でライブ配信しております。ぜひこの機会にご覧いただき、天神さまのご加護のもと、爽やかな朝を迎えられてはいかがでしょうか。
当宮公式Instagramページ(dazaifutenmangu.official)https://www.instagram.com/dazaifutenmangu.official/?hl=ja
本殿(国指定重要文化財)でお参りをしたあとは、本殿に向かってすぐ右側に植えられているウメの木を撮影します。「飛梅」として広く知られているウメですが、主(あるじ)である菅原道真公を慕って京都から一夜で飛んできたなんて、とても素敵な話ではないかと思います。
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東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
◆太宰府天満宮巡りは最小限で
お参りを済ませご朱印をいただき、本殿裏手に回ります。まず目に着いたのは巨大なクスノキ。2本のクスノキが並んで立っているため、夫婦樟(めおとぐす)と呼ばれています。
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本殿の裏手をひと廻りしてもう一度塀の内側に入ります。すると、本殿前にパイプ椅子が並べられ、パイプ椅子の列の最後尾に臨時の賽銭箱が置かれ、その周りに囲いが並べられて一般参拝者が入れないようになっていました。
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おかげで本殿前に誰もいない状態で写真を撮影することが出来ました。もともと人がいない状態での写真を撮りたくて朝の7時に来るつもりでしたが、この時刻(朝の9時代)でも人がいない本殿を撮影することが出来ました。
偶然とはいえこれも電車内にカメラを忘れたからこそであり、これも天神様のお導きであるということで自分を納得させ、前向きな気持ちになることが出来ました(ただし、人の代わりにパイプ椅子が映りこんでしまいましたが)。
太宰府天満宮の宝物殿などを見ていないため後ろ髪を引かれる思いはありましたが、太宰府天満宮での滞在は最小限として、次の予定が詰まっているので先に進みます。
三天神のひとつとされる神奈川県鎌倉市の荏柄天神社についてはブログに記事を書いています。よろしければ下記リンクを参照してください。
■日本100名城 大野城跡へ
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◆林道60分の道のりを歩く
次に目指すは日本100名城に指定されている大野城跡。100名城スタンプが設置されている、福岡県立四王寺(しおうじ)県民の森管理事務所(以下「管理寺務所」)を目指し、太宰府天満宮からはおよそ60分の道のりを歩きます。
【大野城跡】白村江(はくそんこう)の戦いで大敗したヤマト政権が、新羅(しらぎ)・唐(とう)連合軍の来襲に備え、太宰府地域を防衛するため、標高410メートルの四王寺(しおうじ)山(大野山)一帯に築いた山城
「太宰府天満宮を出て林道をおよそ60分歩いて管理事務所に到着しました」と書いてしまえばこの部分は終わりとなりますが、当然ながら登り道であり、途中出会う人もほとんどなくそれなりに厳しい道のりです。
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歩いている途中に「岩屋城跡」の入り口案内板がありました。ここには帰りに立ち寄ることにして先を急ごうとすると、道路反対側の山道からハイカーの方が登って来られたのでお話を伺いました。
聞けば、大宰府政庁跡の方から登って来られたとのことで、ハイカーの方が登って来られた道が九州自然歩道という道であることを初めて知りました。
やがて太宰府口門楚近くの駐車場に到着しました。駐車場には数台の車が駐車していて、これから大野城跡の散策を始める方もいらっしゃいました。
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ようやく大野城跡の遺構らしき場所に到達できました。ここからは林道を外れて遺構の中を歩きます。この付近は尾花礎石群というようで、林の中の数カ所に礎石跡があるのがわかります。
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◆目指す管理事務所はまだ先
尾花礎石群を歩いているうちに、先ほどまで歩いていた林道にまた出てきました。目指す管理事務所はまだまだ先のようです。道も下りになり、帰るときにまた登らなければいけないかと不安にもなります。
林道を外れ、管理事務所の手前にある子供の国の敷地を歩きます。間もなく池や駐車場が現れ、そこに目指す管理事務所がありました。
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【注】写真に見える施設は子供向けの遊具であり、新羅・唐連合軍を迎え撃つための防御施設の遺構ではありません。
管理事務所でようやく100名城スタンプを押すことが出来ました。とはいえ、大野城跡の遺構はこの山の至る所、広大な範囲に広がっています。大野城跡の写真や100名城スタンプの図案になっている「百閒石垣」はここからもっともっと北に進んだところにあるため、今回訪問するのは諦めました。
この後ダミーの百閒石垣を見ることになるとはこの時は夢にも思いませんでした。
◆帰りは九州自然歩道を下る
管理事務所を出て子供の森を歩いていると、猫坂礎石群への案内板がありました。恐らくすぐ近くにあるのではないかと、案内板の示す方向に歩き始めましたが、かなりきつい登り坂を歩く上になかなか到達できず、暫く歩いてから子供の森に引き返し、帰り道を急ぐことにしました。
さて、帰り道は舗装された林道ではなく、この日初めてその存在を知った九州自然歩道を歩くことにしました。
九州自然歩道に入り暫く歩くと、増長天礎石群が現れました。ここは九州自然歩道沿いということもありよく整備されている印象がありました。増長天礎石群の近くには、この付近の見どころの一つでもある鏡池という池もあります。
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一旦林道を横断してから、岩屋城跡に立ち寄ります。ここからの眺望は素晴らしく、これから行く大宰府政庁跡や九州国立博物館、そして、続日本100名城に指定されている水城(みずき)も見渡すことが出来ます。
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岩屋城は16世紀半ば(戦国時代)、宝満城の支城として豊後大伴氏の武将高橋鑑種(あきたね)によって築かれた。鑑種は主君の大伴宗麟(そうりん)に背き城を追われ、代わって高橋紹運(じょううん)が城主となった。紹運は天正14年(1586)九州制覇を目指す島津5万の大軍を迎え討ち、激戦十余日、秀吉の援軍を待たず玉砕し落城した。
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引き続き九州自然歩道を歩きます。徐々に近づくにつれて傾斜も緩やかになり、やがて太宰府市民の森に入ります。家族連れでのピクニックやちょっとした森林浴には最適の場所のようです。
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太宰府市民の森を出て平坦なところに出ました。道端には周辺の見どころを示す案内板も立っています。
太宰府天満宮を出た後に大野城跡への山登りを経てどれくらいの時間が経ったでしょうか。ようやく太宰府の里に降り立つことができました。
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■太宰府の里を歩く
◆令和の起源とされる坂本八幡宮
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見どころの多い太宰府の里。まずは大宰府政庁に行こうと歩き出しましたが、自動的に坂本八幡宮の前に到着しました。
坂本八幡宮は、飛鳥時代から奈良時代の政治家であり家人でもある大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅跡と伝えられ、元号「令和」のゆかりの地とされています。
【坂本八幡宮】応神天皇をご祭神とし、坂本地区の土地神、産土神(うぶすながみ)として崇拝される。大宰帥(だざいのそち)として太宰府に赴任した大伴旅人は、730年自身の邸宅にて「梅花の宴」を開いた。元号「令和」は、その時詠まれた梅花の歌三十二首の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。大伴旅人邸は諸説あるが、坂本八幡宮付近であったと言われている。
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令和ゆかりの神社ということもあり、境内には令和関連グッズが並び(記事冒頭の写真)、参拝する人もそこそこ多くあります。
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◆昼食代わりの旅人餠
さて、時刻もお昼となり山登りも済ませたところで当然ながらそろそろお腹が空いて来ました。しかし、大方の予想通り付近に飲食店はありません。そこで、坂本八幡宮の隣りの空き地に出店しているキッチンカーで何か食べることにしました(上の写真、令和の碑の右奥にキッチンカーが見えます)。
あいにくメニューに掲載されたうどんは「担当者不在」のため提供できないということで「旅人餠セット」をいただくこととしました。ただし、これだけでは少々足りないと思い、お餅をもう一つ追加注文し、青白揃い踏みとしました。除菌ティッシュで手を清めてから美味しくいただきます。
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休憩の合間には接客係の女性2人(私よりも年上)との「どこから来ましたか」「神奈川県です」などという、観光地にありがちな会話などを楽しみながら、次の旅程を考えます。
さて、お腹も満たされた(満たされていない)ところでそろそろ出発です。これから太宰府の里を歩き、九州国立博物館に向かう予定ですが、本記事は既に6千文字を越えることになったため、この回はここでお終いにし、続きは後日掲載することにします。
【お断り】本記事ではさだまさし氏作の「歌」である「飛梅」の歌詞の一部と、菅原道真氏作の「歌」を引用しました。
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