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雇われながら病院名ではなく個人で活躍し理想の人生に近づく教科書。~多数の新規依頼、顧客を獲得する方法~


こんにちは!



しょうです!

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この度はご購入ありがとうございます。


いきなりですがあなたは
療法士の仕事好きですか?


「今の職場はモチベーション
高い人がいない…」

「上司は口だけで何も
サポートしてくれない…」

「リハ科で自分のやりたいことを
するために新規事業をしたいが
私が提案しても…」

「どれだけ結果を出しても
給与には反映されない…」


療法士にやりがいを持っていても
環境や人間関係に悩みを抱えている人
多いのではないでしょうか?

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私が経験年数が低い頃も
同じことを思っていました。


しかし、今からこのnoteを読めば

✅自分のやりたい新規事業を
病院で立ち上げれるようになる

✅リハ科の新規事業の2つの
スタートアップ、生涯学習システムの
作成を任命される

✅訪問リハビリ、保険外リハビリで
病院名ではなく個人で新規依頼の
問い合わせが来る

✅訪問リハビリ1日6件の枠が
1週間分すべて埋まる

✅役職者ではない平社員が病院長、
病院幹部、リハ科長と直接交渉ができる

といったように会社に雇われていながら
自分のやりたいことを行い個人で活躍する
ことができています。

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しかし、このように思う方もいると思います。

「それはしょうさんだからできるんですよ…」

「私になんかできません…」

「そんなの職場環境にもよるでしょう…」

私が勤務している病院は中小クラスの
病院ですがあなたが勤務している
病院と大きな差はないです。



環境や上司など壁はあるかもしれませんが
壁を壊して自分で新しい環境を作ればいい
だけです。

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役職もついていない
平社員の私にできたので
あなたにで必ずできるはずです。


このnoteでは
私が実践してきたことを
洗いざらい書き出します。


しかし、
これを真似したら同じようになるという
必殺技のようなものはこの世にはありません


第1弾のnoteでもお伝えしまいたが
たくさんのノウハウを存在しますが
それだけでは成功することができません!


普段の臨床を思い出してください。
参考書、論文を読んだからといって
患者様の悩みを解決できますか?


おそらくできないでしょう。
私はできませんでした。


なので、そのノウハウをなぜ学ぶか、
どのように使っていくか考えて行動することが
重要性をお伝えしたいです。


あなたもこのnoteを読み、
どのように自分に落とし込み行動していくかが重要です。

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日々、現状や環境の不満を語り過ごすよりは
確実に自分の価値を見出すことができます。


このnoteを購入されるくらいの方なので
本気で悩んでいたり、
現状を変えたいと考えているんですよね?


それなら本気であなたに伝えていくので
本気でついてきてください!

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まず、
なぜ、私が病院に属しながら個人で
多数の新規依頼、顧客を獲得できたのか?


すべては
「マインドセット」
です!


「また、マインドセットか…」
と思ったあなた。


普段のツイートや第1弾のnoteでも
マインドセットの重要性は
散々お伝えしてきました。


マインドセットが明確にあるかないかで
全く違う方向に進んでいくことになります。


マインドセットは特別レッスンの1日目で
簡単に説明しまいたが重要なことなので
おさらいしましょう!

マインドセットとは…
これまでの経験や教育、
先入観から作られる
思考パターンや固定化された
考え方のこと。

なので
どのようにして
マインドセットで形成されてきたのか



私の過去まで遡って
紐解いて説明していきます。


ちなみに、
私のマインドセット

『全ては病める人のために』

『諦めたを諦めないへ』


です。


同時にあなたの過去も
掘り下げてみてください。


では始めます!


私は東北地方の出身で
現在は近畿地方に住んでいます。
平成4年生まれの30歳です。


幼稚園から高校まで
サッカーをしており、
県代表や地域代表、


サッカーしていた方なら
知っていると思いますが
ナショナルトレセンという


日本サッカー協会が指定する最上位にある
プログラムも参加した経験があります。

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未来の日本代表を育成する
プログラムといった感じですかね。


小学生の頃から暇さえあれば
勉強そっちのけで友達とボールを蹴り、


暗くなりボールが
見えなくなるまで
サッカーに打ち込んでいました。


当時、小学校のサッカーチームの監督が
県代表のコーチをしていたこともあり、
監督と一緒に全国色々な場所に行きました。


「自分がこれだ!」と思ったら
上手くいくまでとことんやる性格でした。


中学生の頃、
地元から離れた強豪校から
スカウトや推薦もあり、


全国大会に出場し、
幼い頃からの夢であるプロサッカー選手に
なりたいと希望を持っていました。

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しかし、小学校のサッカーチームの監督から

「できれば地元に残ってほしい。

古豪復活の為に盛り上げてほしい」

とお願いされ、
地元の古豪と言われる高校に
進学することとなりました。


かつてはインターハイ、
高校サッカー選手権に出場経験もあり、
日本代表の選手を輩出した高校でした。


しかし、
私が進学した当時は県大会で
ベスト8~16止まりといった成績でした。


地元では進学校と言われていたこともあり、
サッカー部では期末試験で赤点を取ると
坊主にするという決まりがありました。


サッカーばっかりしていたので
いつも学年で真ん中くらいだった私は


坊主は死んでも嫌だったので
勉強も必死に行いました。


そのかいあってか3年間坊主にせずに
済みました。
勉強の目的はこのくらいでも十分です(笑)


最終的に私は高校3年間で
全国大会へ出場経験は叶わず
3年生最後の大会で県3位が最高成績でした。


そして、
高校生の時に初めて”挫折”
いうものを味わいました。

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日本代表に選ばれた経験のある選手と対峙し、
自分自身ある程度実績があった為、
どこまで通用するか楽しみでした。


しかし、
現実はそんなに甘くなく、
すぐに鼻をへし折られました。


同い年相手に手も足も出ず、
なぜここまで差があるのか、


これが日本代表クラスなんだと肌で感じ
プライドがズタズタにされました。


その時、
上には上がいることが感じました。


個人としてもチームとしても
結果は残せませんでしたが
プロサッカー選手になる夢が諦められず


高校卒業後、大学に進学せず、
クラブチームに入り
サッカーを続けていく予定でした。


しかし、忘れもしない
高校を卒業した10日後の
2011年3月11日午後2時46分


東日本大震災が発生しました。


育って家、見慣れた町が津波に
飲み込まれ人生が一変しました。


友人、知り合い、
小学校のサッカーチームの監督、
多くの大切な人をこの震災で失いました。

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そして、数か月間、地元の高校の野球部の
室内練習場で避難所生活をしていました。



東北の冬という極寒の中、石油ストーブ3台、
土の上にブルーシートに布団を敷き詰め、
30人ほどで生活をしていました。



トイレも使えない、水も出ない中、
グランドに穴を掘り、仮設トイレを作るなど
して日々、懸命に生きていました。

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”一生懸命”という言葉の意味を
初めて理解したときでした。


当時の自分はこのような状況で
夢も絶たれ思考停止状態で
何も考えられませんでした。




毎日、
避難所の小学生や中学生の宿題の面倒を
見たり、一緒に遊んだりしていまいした。


今を振り返りかえっても震災の経験が
人生のドン底でした。

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しかし、どん底を知ったことで
「あの経験よりはマシだな」と
思え怖いものがなくなりました。


そんなある日、
高校の進路担当の先生から
一本の電話がありました。


その先生もサッカーをしており、
入学当時から気にかけてくれていました。


「しょう、今後の進路はどうするんだ?
近畿のある病院から特別雇用の話
が来たから一応連絡した。

どうする?高校生の頃、怪我でサッカーが
できなくなった時の進路とし
て医療・福祉って言っていただろう?」

この電話が私の人生を変えました。

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このまま避難所生活をしていても
何も始まらないと思い、

「見学だけでもしにいきたいです」と
先生に返事をしました。


先生からの電話がなかったら
今、私は何をしていたのか
怖くなることがあります。


電話から1週間後には一人で近畿に行き、
今の職場である病院に見学にいきました。


「よく一人で見ず知らずの場所に来れたね」
と言われることがありますが震災の経験で
怖いもの知らずで行動力はありました。


病院の雰囲気、挨拶がきちんとしていること、
職員の温かさから「ここで働こう」と
決意しました。

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見学から2週間後には一人で近畿に
越してきて病院のデイケアで介護士として
働くことになりました。


18歳で東北から1人で出てきたことも
あり、利用者様、職員も
優しく接してくれました。


院長にはよくご飯や旅行に
連れていってもらったり、

「仕事はどうだ?」

「楽しいか?」

など気にかけてもらいました。


仕事をしていく中で

「どうすればこの人はご飯食べてくれるかな」

「どうすれば歩きやすくなるのかな」

「どうすれば50人近い利用様を安全
かつ効率的に入浴させることができるかな」

など当時から自問自答をしていました。


10代だからと言っていつまでも
子供扱いされてくないと強く思っていて、
先輩たちから色々なことを吸収し、


仕事をはじめて3年目くらいの時には
リーダーになり、自分より
年上の新入職員に指導をしていました。

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また、当時から
困っている方を助けたい
という気持ちはあり、


今、理学療法士として働いていても
そのマインドは残っています。


そんなある日、院長から

「しょう、お前はまだ若いんだから
何か資格を取ってみたらどうだ?」

と提案してもらいました。


院長から候補に挙げられたのはの
看護師、理学療法士、作業療法士、
言語聴覚士、社会福祉士などでした。


正直、当時、
あまり資格などに興味はありませんでした。

しかし、
脳卒中の既往歴をもつデイケアの利用者様
と話をしているときに

「足が動くようになってきた。
リハビリの先生がよくしてくれる」

と言っていたことがきっかけで

「なぜ、足が動きやすくなったのか?
そもそも、なぜ、足が動かなくなるのか?」

仕組みを知りたいとリハビリに
興味を持つようになりました。

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その当時は理学療法士、作業療法士、
言語聴覚士のどの資格を取りたいなど
明確にはありませんでしたが


仲の良いリハビリのスタッフが
理学療法士だったこともあり、

「理学療法士の勉強をしたいです」
と院長にお願いしました。

院長は笑顔で
「よしわかった!協力するから頑張れ!」と
背中を押してくれました。


そこからデイで働きながら
夜間の専門学校に通う生活が始まりました。

8:30~15:00までデイで働き、
自宅から電車で1時間弱の学校まで通い、


17:30~22:30くらいまで
勉強するという日々を3年間過ごしました。


実習期間中は仕事を休み、
実習の翌日には勤務に戻り、
国家試験の2か月前まで働いていました。


この頃、周りの人に

「えらいね」

「しんどいね」

と言われることがありましたが
震災の経験に比べたら大したことは
ありませんでした。


死ぬ気で勉強し、国家試験も無事受かり、
卒業式では県から模範生として
表彰されるほどの成績でした。

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そして4月からデイケアからリハビリ科へ
異動となり理学療法士としての
生活が始まりました。


1年目は回復期病棟に所属しました。


実際にリハビリしていくと
「なぜ?」
の連続で毎日、勉強していまいた。

これは第1弾のnoteでも語っていますが


私は1年目から
毎日1時間以上早く出勤して、
ジャーナル、論文を読み漁り、


昼休憩は昼食を5分くらいで済ませて、
残り50分でまた、ジャーナル、論文を
読んでいました。


また、業務終了後は、ほぼ毎日、
正面玄関が閉まる20:30まで
先輩たちと実技練習を明け暮れ、


毎週末にはセミナーに参加し、
学んだスキルを実技練習で試すといった
1年目を過ごしていました。


高校生時代に経験した挫折を思い出し、
上には上がいると言い聞かせ、
現状に満足せず


”全ては病める人のため”
必死に勉強しました。

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しかし、
勉強することが目的となり、
なかなか結果が出ませんでした。

「あの先輩と私で何が違う?」

「先輩の考え方を聞き、理解はできるけど
それをどう臨床で使っていくの?」

悩みながらも勉強だけは
毎日継続していました。


そして、3年目、
当院の訪問看護ステーションへ
異動となりました。


訪問看護ステーションや生活期リハビリは
積極的なリハビリでなく、寝たきりの方の
リハビリというイメージがあり、


積極的なリハビリをしたいと思っていた
私からするとすごくモチベーションの
下がる異動でした。


しかし、
実際に訪問看護ステーションで働き出すと
自分が思っていたイメージとは違い、


機能改善を諦めていない方、
難病、ガンであっても自分らしく
生活されている方がたくさんいました。


療法士としてのスキル、知識は
まだまだ未熟でしたが


その中でも気づき、変化を
少しずつ与えられるようになり、
痛みが改善し、散歩に行けるようになったり、


一人でトイレに行けるようになったり、
その方の目的を叶える為、
全力でサポートを行っていました。

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そこで私が一番重要視したことは

「療法士と患者様ではなく
”人”対”人”として
患者様、ご家族に寄り添うこと」

です。


療法士としてのスキル、知識は
もちろん重要で患者様の悩みを
解決する
為に必ず必要なことです。


しかし、それ以上に
患者様・ご家族の悩みを聴き、寄り添い、
解決方法を一緒に探していくこと
が重要です。


訪問リハビリでは患者様だけでなく、
24時間介護しているご家族の負担、悩み、
不満などにも寄り添わなければ


介助者であるご家族が倒れたら
患者様が在宅で自分らしく
過ごすことはできません。


その為、患者様、ご家族に
わかりやすく説明する為、


コミュニケーションスキル傾聴力
高めるように努力してました。

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また、その時期から保険内では制限が多く、
本当に困っている方に
どうにかしてサービスを届けられないか


思いが強くなっていき、
同じマインドを持つ先輩と保険外リハビリを
してみたいと話していました。


そこからは保険外リハビリを新規事業で
行うことを見据え、訪問リハビリをしている
際も病院としてではなく


個人の名前を認知してもらうこと
保険内の業務で結果を出すこと
常に意識していました。


自分という商品を磨き続けることはもちろん、
どうのようにブランディングしていくかを
常に考えていました。

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簡単に説明すると…

たくさんいる療法士の中から選んでもらうには
自分という商品やサービスに共感して満足し、
ファンになっている必要があります。


これがブラント化です。


そしてブランド化を拡大していくための
認知活動がブランディングです。


例えば…


買い物をする際に同じ商品が同じ値段で
並んでしたら国産であるものや
大手メーカーものを選びませんか?


国産や大手メーカーを選んだ理由は
「安全、安全、高品質」
などイメージがついているからです。


それと同じです。


療法士は何年目であっても
患者様は同じ料金を支払います。


それなら少しでも自分の目的を叶えるために
自分に合った療法士、少しでも信頼できる


療法士、認定や専門療法士などに
サービスを受けたいと思うのでは
当たり前のことですよね?

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そのほかに個人で活躍する為に
意識していたことは

「ケアマネジャーに小まめに連絡すること」

でした。


担当している方のすべてのケアマネジャーと
頻繁にやり取りしていたわけではなく、


自分や理念に共感する方
すぐに連絡してきてくれる方などに
絞っていました。


決してそれ以外の方に
連絡していたなかったわけではありません。


あくまで患者様のための連絡で
あることを忘れていません。


これは
返報性の原理、ザイオンス効果、
ウィンザー効果
を利用しています。

返報性の原理は…
「相手から受けた好意などに対して
お返しをしたいと感じる人間の心理」
ザイオンス効果
「繰り返し接触しているといい印象を持つこと」
ウィンザー効果は…
「第3者を介しての情報を信頼されやすいこと」
という人間の心理的傾向。

小まめにやり取りすることで
いい印象を持ち、連絡来たら返事を
しなければいけないと思ってもらえます。


患者様・ご家族の悩みに全力で向き合い、
解決することで信頼関係が築け


患者様・ご家族からケアマネに
私の情報が伝わり、ケアマネジャーからも
信頼を得ることができます。


そして、
ケアマネジャーから「病院名」ではなく、
「しょうさんにお願いしたい患者様が…」と


「個人」での新規依頼、
顧客の獲得と繋がります。


同時に私の情報が違う事業所に口コミで
広がることで信頼度はさらに高くなり


難渋している利用者様など困ったときは
私というイメージがつき、
多数の新規依頼、顧客獲得に至りました。

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例えば、Twitterをしていても

「この人共感する」

「この人よくコメントをくれる」

という人はフォローしたり、
ツイートを読んだりしますよね?


批判ばかりのツイートを上げている方や
自分とは価値観が違うと思った人とは
頻繁にはやり取りしませんよね?


それと同じです。


ケアマネジャーや顧客もそうですが
新規よりも既存の方との関わり、
信頼関係構築する方が重要です。


一度、ファンになったからといって安心し
関係を疎かにしてしまうと
すぐに離れていきます。


個人で活躍しても
私の給与が上がるわけでは
ありませんが


私の将来の目的ために
常に準備し続け信頼を
得ていくことができ、


病院としては
新規依頼や顧客が増えているので
利益が上げているのでwin-winですよね?

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そして、1日だけで
新規依頼の問い合わせ7件


1日6件ある枠が1週間分
すべて埋まってしまうという現象が
起きました。


その実績を評価され、
訪問リハビリを新規事業で行うことになり、


私ともう一人先輩がスタートアップに
任命されることになりました。


訪問看護ステーションと訪問リハビリを
兼務しながら訪問リハビリ側では


新規依頼の電話対応、提供表のチェック、
顧客リスト作成、チラシ作成など
管理業務を行っていました。


その頃、訪問リハビリと並行し、
新規事業で保険外リハビリを行うため
科長へプレゼンを行っていました。

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保険外リハビリを行っている施設に連絡を
取り、実際の患者様の声、市場リサーチ、


コンセプト設定で
「誰に→何を→なぜ→ゴール」
といった形で資料を作成しました。


科長からは許可をもらい、
次は病院幹部への
プレゼンを重ねていきました。


プレゼンするときのポイントとして
自分の想いを伝えることも大切ですが
それ以上に


「その事業をすることで組織にとって
何がメリットがなの」

「組織の課題や解決方法であること」

「具体的な数字を提示する」



を意識すると伝わりやすいです。


病院に雇われて立場で

「自分がこんなことやりたいんです。
このくらいの費用かかりますが
やらせてください」

と熱く語っても病院側からすると

「自分でやりたければよそでやってください」

と思うのは当たり前ですよね。



病院幹部はこの事業をやることで
どのくらい病院にメリットがあり、
デメリットはあるか、


維持管理する為のランニングコスト、
利益など数字的な部分を重視します。


あなたの病院や施設もそうだと思いますが
現場は単位数より質を求めますが
経営陣は単位数など数字を求めてきます。

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立場の違い、考え方の違いを考慮した上で
プレゼンをしないと企画が通りません。


また、病院幹部は資料を1度パラパラと
目を通すだけで何が言いたいか、
今後の展開など把握してしまいます。


最初のプレゼンで数秒パラパラと
目を通しただけで核心を突かれた時は
すごく驚きました。


相手は経営や運営のプロです。
難しい言葉や理屈っぽい説明必要ありません。


資料をそのまま読むのではなく、
自分の伝えたい内容の要点を伝えるだけ
十分です。


私がその他に行ったことして、
プレゼンする幹部の特徴を事前に
科長や役職者に調査
しました。


この人は数字重視、この人は感情で
訴えた方が伝わるなど事前情報をもとに
伝える内容を変えていました。


これも重要なスキルです。


平社員の私と院長や病院幹部の方であっても
結局は”人”対”人”です。

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その人に興味を持ち、
プレゼンの中で共感ポイント、


刺さりやすいワードを用いて
歩み寄ることが大切です。


当然、賛成の意見だけなく批判などの
意見もありました。

「そんなことをする前に保険内で
単位数上げてください」

「その事業をして誰が得するんですか?」

「独立するための準備ですか?」

など様々な厳し意見を貰いましたが
素直に受け入れ、どうすればよりよい事業に
なるか質問しを繰り返しました。


諦めずプレゼンをすることで
熱意を感じたのか
アドバイスをくれました。



ここまでプレゼンの話をしてきまいたが
私が徹底的に「準備」をしていたことが
わかりますか?

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この内容なら
8~9割許可もらえると
いうところまで準備しまいた。


無事企画が通り、今年4月から私が
訪問リハビリから病棟へ異動となったと
同時に保険外リハビリが本稼働しました。


本稼働まで2年間、
いつか自分がやりたいことができると信じて、
実行と修正を繰り返し、

ホームページ、フローチャート、
契約書、チラシ作りなど
諦めず続けていました。

保険外リハビリがスタートしてからも
未だに病院幹部と科長などと
会議をすることはあります。

今はコロナ過ということもあり、
認知がうまくいっていない為、

顧客自体はまだまだ少ないですが
訪問リハビリ担当していた方が
異動しても

私にリハビリをしてほしいということで
保険外リハビリを利用しています。


大手の自費リハ施設も
見学に行ったそうですが
私を選んでくれました。

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私よりもスキル、知識を持った療法士は
たくさんいますが


訪問リハビリ時代に築いた信頼関係
あったからこそだと思っています。


私が3年目の頃に保険外リハビリを
新規事業で行うことを見据え、


訪問リハビリをしている際も
病院としてではなく個人の名前を
認知してもらうことを目的に


業務していたことが
間違っていなかったと
証明された瞬間でした。

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病棟でリハビリを行っているときも

「退院してからもしょうさんに
リハビリしてもらえないの?」

と相談を受けることが多く、その都度、
保険外リハビリの案内はしています。


皆さん、価格を聞くと
どうしても躊躇されていまいます。


病院で運営している以上、
価格も私の意志では
決定できませんでした。


なので、
本気で困っている患者様を救うため、
将来的には起業し、


手の届きやすい価格
サービスを提供することが
できたらと考えています。


なぜスキル・ノウハウを用いるのか
目的に向かって実践と修正を
繰り返しているだけです。


療法士という資格も
理想の人生の目的を叶えるための
手段です。


保険外リハビリで活動しているときは
理学療法士に資格は使用していません。
完全に個人名で活動しています。


ここまで私の過去を語ってきましたが
特別なことはしていませんよね?



誰にでもできることを
当たり前にしてきた
だけです。


しかし、
その当たり前を継続することが
とても難しい
のです。


なぜ、難しいのか?



それはなぜするか…



目的が明確ではなくブレて
なぜ行動している忘れ
諦めてしまうから
です。

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結果がこの日に出ると
わかっていれば人間頑張れるのもです。


国家試験まであと30日など
ゴールが明確であれば諦めず
頑張ろうと思えす。


しかし、
理想の療法士、自分の理想の人生には
ゴールは見えません

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1年後か10年後かもしくは
理想の自分や人生に
出会えないかもしれません。


その不安と闘いながら、
目的を明確に持ち、


毎日、地道に当たり前のことを当たり前に
行った人がだけがいつかゴールにたどり着き、


理想の療法士、理想の人生を
手に入れ、成功できるのです。

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また、最後に一番重要なことを伝えます。
「人との繋がりに感謝すること」
です。


今まで私の過去を掘り下げて
話をしてきましたがある重要なタイミングで
必ず人に助けられています。


小学校のサッカーチームの監督、
高校の進路担当の先生、
院長、


その他大勢の人と繋がることができ、
今の私がいます。


決して自分一人の力で
ここまで来たわけではありません。


私のツイートを読み、
このnoteを読んでくれている
あなたも縁があり繋がれました。


今はすぐに結果が出なくてもて
諦めずに地道に
当たり前のことを当たり前に


積み重ねていけば
理想の自分に近づくことができます。


そして、

成功するまで積み重ねいってください!

その努力を必ずみてくれている人はいます!


私もまだ理想の療法士や人生には
到達していません!


このnoteを読んでいる
あなたよりも数歩前を
進んでいるだけです。

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なので



これからも私に着いてきてください!
全力でサポートします!
そして一緒に成功を勝ち取りましょう!


改めてこの度はご覧いただき
ありがとうございました。

またお会いしましょう!




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