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ボリビア独立記念日!(8月の振り返り編#1)

前回までは、7月の長期休みを活用した旅行などについてお伝えしました。

今回からは、8月の振り返りに入っていきます!
8月はコンポストのプロジェクトも動き始め、活動が活発になります。

―8月の振り返り編― 目次
1.ボリビア独立記念日! ←今回はココ
2.日系移住地オキナワへ、豊年祭の旅!
3.再び!日系移住地サンフアンへ、運動会の旅!
4.7月のJICA海外協力隊活動(コンポスト編)
5.7月のJICA海外協力隊活動(バド隊員支援偏)
6.7月のJICA海外協力隊活動(その他編)


8月6日はボリビアの独立記念日

1825年8月6日に、ボリビアはスペインの支配から独立を果たしました。
既にふれている5月25日のチュキサカ革命と併せて、ボリビアにとって大事な日です。

1809年5月25日に始まった革命で、同年のラパス革命と併せて、ボリビア独立戦争と呼ばれる。初期はどちらの革命もスペインに鎮圧されたが、ゲリラ作戦やシモン・ボリバル/アントニオ・ホセ・デ・スクレらによる南米北部での王党派(スペイン)への勝利などで、最終的に1825年8月6日にボリビアは独立を宣言することが出来た。

Wikipedia等

前日8月5日もお祝い

独立記念日前日もお祝いムードです。
この日は、主に幼稚園から小学校、中等学校の子どもたちがパレードをする日です。
5月25日の記念日も、同じように前日には子供たちのパレードがありました。
スクレ及び近郊の学校がこの日のために練習して、その成果を十分に発揮していました。大きい子供たちは迫力のある演奏と行進をして、小さい子供たちの鼓笛隊はかわいいです。笑

Plaza 25 de Mayoの様子
中央市場近くの様子
色んな衣装も登場

8月6日-独立記念日

この日は祝日なので、大勢の人たちが朝から広場周辺で席取りなどをしていました。
広場付近はボリビア発足当時の議会があり憲法上の首都ということで、色んな施設でセレモニーや国旗・県旗を掲げている場所がたくさんありました。
5月25日広場の中心には、色んな機関からの花が飾られていて、この日を祝う気持ちがたくさん集まっていました。
この日、いろいろ歴史なども教えてもらうために、ボリビア人の友達と出かけていました。
パレードはたくさん人がいてあまりいい写真が撮れませんでしたが、色んな関係機関や大学、軍隊など迫力のある行進がたくさん続きました。
(正直、スーツを着た人たちのパレードが多すぎて飽きてしまいましたが…)

ある程度パレードを満喫した後は、脇で開かれていた屋台に行きました。
友人とチュキサカ名物のモンドンゴを食べていると、急にすぐ脇の道路(式典中のため道路封鎖中)が騒がしくなりました。
すると、ほどなくしてボリビア大統領が通り過ぎました。
これが初めて生で見た大統領の姿でした。(写真は撮れませんでしたが…)
ここで感じたボリビアは、屋台のおばちゃんや現政権に批判的な通行人が「大統領あっちいけー!」などとひたすら叫んでいたことです。日本でもそのような場面はありますが、かなり絶叫するような感じで、周りの関係者もそれを止めずにいたので、日本よりは自由に主義主張ができる環境なのかな、と感じました。
その後モンドンゴを引き続き楽しんでいると、日本人も通りすぎました。
それは在ボリビア日本大使でした。すぐに後ろ姿に声を掛けましたが、あまり誰か分かっていない様子で、こちらに会釈だけされて帰って行かれました。
半年以上前に表敬訪問しただけなので、残念ながら覚えてもらっていなかったようです。セキュリティの方だけを連れてお1人で歩かれていたのがすごいなと感じました。

チュキサカ県庁
自由の家(旧議会)
5月25日広場の中心
友人と
ボリビア人に写真撮らせるとこんな感じ
私の配属先の大学
関係機関
この後大統領と大使が通り過ぎた

スクレ観光

食事も済ませ、近場のスクレ観光へ行くことにしました。
まず、私が定期的に訪れるアイス屋さんへ。
友人は来たことが無かったようで、いい場所を紹介出来ました。
アイスで涼んだ後は、初めてお墓(セメンテリオ)に行きました。
ここは周りの喧騒も届かず、静かな環境でした。
こちらでは大きな棺に入れて埋葬するのと、小さいアパート状にお墓が並んでいるので、日本とは違う雰囲気でした。
有名な音楽家やチャコ戦争の殉職追悼碑、イスラエル関係の方々のお墓等、静かな中にも学びが多い場所でした。

先人たちのおかげで今のボリビアがあり、それを1日で感じられた日になりました。

アイス屋さん
ボリビアカラーのアイス
セメンテリオ
チャコ戦争の追悼碑
同じくチャコ戦争の追悼碑


次は…↓


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