ぼくのこと
「自分のこと」ってどれだけわかりますか?
もちろん自分の人生なのですが、
・自分で記憶していること
・相手が記憶していること
・誰も知らないこと
大きく分けて上の3つに大別され、自分のことなのに、自分よりも親や友達といった他人の方が自分のことをよく記憶しているケースが多いですよね。
(出生時のこととか、飲み会のこととか、飲み会のこととか、、、、)
そして、「自分で記憶していること」は往々にして極端な形で記憶されていることが多く、あまり当てにならない印象です。
でも、振り返りをすることは
・自分がどこまで自分のことを認識/意識しているか
・当時の感情+行動と、現在との乖離の気づき
など自分(の成長)を知れますし、何よりいろいろな場面で知り合った方に、体系的に「ぼく」をお伝えできるのは、より知ってもらえるまたとない機会だと思います。
今回の投稿では、高校生活までにとどめ、大学以降及びボーイスカウトについては別途お伝えします。
1.基本情報・出身:岩手県盛岡市
・年齢:24歳(2018年9月時点、早生まれ)
・身長:181㎝
・経歴:小学校~大学まで自転車で15分圏内。再エネベンチャーに入社。
・ライフワーク:ボーイスカウト(小学校4年生~)
・特技:コミュニケ―ション、ガヤ入れ、観光案内
・趣味:チャレンジすることを妄想、スポーツ(なんでもやる)、顔を突っ込む、ドライブ、野球観戦(楽天ファン)、写真、ラーメン、クリームソーダ
・好きな色:青、緑
・好きな数字:3
突っ込みどころもあると思いますがこんなところ。
2.~小学校
昔の写真を見ると、ウルトラマンのスペシウム光線をひたすら打っています。
打ちまくりです。
(写真はあんまり関係ないですが、ボーイスカウトに入りたてのスキー舎営にて。)
基本的な性格は「泣き虫」。
色んな事にちょっかいかけたり首を突っ込んだりするくせに、こちらが不利になったり怖くなると逃げて泣き出すようなやつです。
そんなわけで、小学校では力の強いやつに目をつけられて、痛い思いをしたことも、、、
ただ、小学校1年生のころから積極的(目立ちたがり)だったので、学級委員長を小学3年生まで。途中から読書に目覚めたので図書委員、小学6年生時には図書委員長を経験しました。
多読賞という、本をたくさん読んだ人に贈られる賞を3年連続で受賞するほど、本をたくさん読んでいました。(漫画ももちろんですが、ハリポタや指輪物語などの小説が好きでした。)
その読書経験で、「日本の歴史」を何度も読破したことが、のちに日本史が得意科目となるきっかけとなりました。
3.中学校
中学校でも目立ちたがりを発揮し、学級委員長・学年委員長を務めました。
部活動はバスケ部に入部し、勉強もそこそこ。
ちなみにバスケ部では、1年生時の3年生は県大会に進出しましたが、その後は公式戦1勝もできず結果の残せなかった部活動人生でした。
また、3年生時には盛岡市内陸上記録会の特設陸上部に所属し、走高跳と4×100mリレーに出場。100mは12.5秒くらいのタイム、走高跳は174㎝の自己ベストでしたが、本番は力を出せなかったこともあり入賞ならず。
3年生になった体育祭では、白赤黄3組団あるうちの黄組団団長となり、ここから僕の応援団人生はスタートしました。
3年生の文化祭(岩鷲祭)では、2日目終了と同時に、友達とひそかに準備していた「悲壮感」を披露し大うけ。高校も自宅から自転車で15分程度の進学校に決まり、程よい学生生活を送っていました。
一方、夏季休業や日曜日はボーイスカウトに明け暮れていました。
4.高校
高校は、いわゆるナンバー高といわれる盛岡市内でも名が知られた進学校へ入学しました。ただ、他の進学校と比較してかなり自由な気風の高校だったので、全員がレベルの高い大学に行くというよりは、大学生活エンジョイしようぜ~的な雰囲気が多かったように思います。
ここで私は、1年生時に応援団(応援委員会)へ入り、3年間の応援団生活をスタートさせます。
また、部活動では一瞬バスケ部に入りましたが、ボーイ巣アウトや応援団との両立を考え、3日で退部。当時の担任が器械体操部(先輩が抜けてマネージャー1名のみ)の顧問だったため、柔軟性獲得を目指して入部。私ともう1名、そして3年マネジの計3名で当面の活動をスタートさせました。
器械体操部は、当初マット運動用に通路しか確保できなかったり、体育館のステージ上にマットを持っていって練習していました。
しかし、だんだんと交渉が成立するようになり、時間帯によっては鉄棒やあん馬といった他の練習できるようになりました。
柔軟性ももちろん上がったのですが、それ以上に筋力がついたことで、体育で行うほかのスポーツ(バスケやサッカーなど)も上達したので、結果的に体操部に入ってよかったと思っています。
一方の応援団は、高校入学直後の高総体開会式、夏の高校野球応援が活動の場で、それ以外は週2回昼休憩に発声練習を行ったり、年に1回の全体合宿を行ったりしていました。
1年生の夏からは応援団副団長を務め、先輩方とともに壇上に立って壮行式等の場面で応援をしていました。
2年生になると、そのまま応援団長を志望して就任し、「自分のやりたい応援団の形」を目指して動いていきます。
ー具体的な動きー
・それまでは他の生徒に見えない形で昼の応援練習をしていたが、正面玄関前での応援練習に切り替える。
・目立たせるため、応援団着用のハチマキ、手旗の導入と新振り付けを考案
・応援団内のみだが、廃止されていた凱歌や第5応援歌の復活
そして3年生の夏、野球応援。
直前の2か月間で応援に向けた動きを加速させます。
ー更に、、、ー
・2週に1回「応援団報」を発行し、応援の方法や注意点などを周知
・応援団報内で、「オレンジ色ないし類似色」のタオルを応援に持参し、統一感を出すよう依頼
・全校生徒へのメガホン無料配布(応援団顧問の尽力)
・野球部応援団との当日応援方法の事前打ち合わせ(これまで実施したことなし)
そして、当日は野球部応援団ともうまく連携し、かつ我々応援団が中心に立った応援が展開でき、メガホンとタオルをそろえたおかげで、高校カラーを前面に押し出した応援ができました。(何回も壇上で水をかぶった)
準決勝で野球部は負けてしまったものの、終了後にはOBOGなどから「応援めっちゃよかったよ!」「すごく頑張ったね!」といわれ、とても自信になりました。
引退後も、生徒総会で下の応援団長に対して巻物をバッと広げて朗読し、所信表明演説を促したり、自分たちの卒業式の閉会宣言で待ったをかけ、最後に応援をしたことなど、高校生活で応援団として活動したことが一番思い出に残っています。
5.終わりに
いかがでしたでしょうか?
自分で振り返っていて、とても懐かしくなるとともに、「その世代において発せるエネルギーは質が違うな cf)中学時代はちょっと大人ぶるけど単純に突っ走る、高校時代は行動力を伴って周りを巻き込み突っ走れる etc...」と感じました。今も、質は違うけれど「エネルギッシュにやってやるぞー!」というスタンスでやっています。
上記までの文章で、少しでも~高校の雰囲気が伝われば幸いです。
はああああ、
アルバムが懐かしすぎて時間がかかりました。笑
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