昨日は一日中家にいた。
窓越しに降り注ぐ強い日差しが、快晴で心地よい天気であることを示唆していた。
自然が好きだ、どうしてだかわからないけれど、とにかく好きであることがわかっている。昨日も普段なら気負いなく外へと散歩やらランニングやら出かけていたと思う。けれど、昨日の心持ちはやや違い、すこし気負いするような、かすかな心の抵抗を感じた。それを知っていて外へ出ることもできただろうけれど、昨日はそう思わなかった。けれど家の中から感じる外の雰囲気はとても心地よかった。心が望んでいることを現実として行動を起こさなくても、今この状態で満ち足りている心持ちでいる自身がこの頃よく垣間見る。

一日中体を休め、今日という日を迎えた今感じていることがある。休息が与える精神的、身体的影響は、とても大きなものであった。雨が降り注ぐ日が幾日も続いたのちに、人の心に安らぎや癒しを与える雲ひとつない快晴や、冷たい雨風、雪吹雪が土地全体を薄暗く、また凍えるような冷たさをもたらす冬の先に待つ、誰もが望んでいた光の扉が開くように、春が舞い降りてくる。野生動物は冬眠から目を覚まし、桜の木はこの気候を待ち望んでいたかのように、長い月日向き合い続けた個ひとつひとつが、花を咲かせる。体を大きく休ませ、やがて時が来たら動き出す。この流れに自然の摂理を感じる。
昨夜の心持ちはどんよりしているような、けして澄んだものではなかった。また今のような心持ちであることも、考えれば1秒先の心の動きなど予測のしようもなく、今、そして過去の心持ちしかわかり得ないのだが、到底想像もできなかった。心は自然の摂理の如く巡り、その巡りをどのように感じ取り、現象を起こすのかは、入れ者次第である。そして自由である。


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