目の前の出来事に向き合っている中で、生命の挫折を味わうとき、自身の中に自身の目を向けられてない状況にある事が多い。
生命の挫折をより感じるときこそ、自身に目を向けるべきだと思う。無や、滅、割、破、このようなニュアンスを含むものを気がつけば恐れているようであるから、きっと無意識の中で恐れているのだろう。死ぬ事、生命が終わる事が目の前に現れた時、自身はどう思うのだろうか。心大きく乱し、恐怖と不安に苛まれながら、死を迎えるのであろうか。
自然の理を思い、心安らかに息が止まるのを待つのだろうか。後者のような死に方を迎えるには、どう生きるべきであろうか。自身の心の持ちようは、すべて自身に託され委ねられている。この事実を自由、と呼ぶ以外にどう呼べばよいのだろう。

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