心の変化を辿る。
中学のころに音楽に興味を示し、やがて高校を卒業した年の18歳の秋ごろに音楽を作り始める。音楽を作り始めた理由を考えるとするならば、生きるとは何か、今どうして生きているのだろうと、自身が今生きる意味を見出さなかったからだろうか。また教育課程を経て、社会という名の営みに関りを持ち、社会の規則や、そこで入り乱れる人情や、次々に生じる心への違和感を感じ取っていたこともきっかけであったと思う。
18歳の冬ごろからだっただろうか、生きるとは何かを考えるため、その頃の心持はよく覚えている。この世の中に絶望を覚え、今にも自死を望んでいた。関りを持つ人間を妬んでいた。また、自身の心持も肯定できるものではなかった。自身の中に湧き上がる世俗とまた自身がこの世に臨むものが入交り、心の整理もままならずにいたと思う。立場や人目や、権力そういうものに心彷徨っていた頃でもあった。これまで生きてきた過程で築き上げてきた信念を社会に身を置く中で徐々に覆されていたように思う。
そうして生きるとは何かを考えるきっかけになるような本を探り、古人の小説、随想日記をはじめ、日本の習わし、言葉の意味や知っていくにつれて枝分かれするように本を読み浸っていった。それぞれの時代を背景にその場を生きた人間の考えに触れ、自身に問いかける日々であった。またぞれぞれが生命、運命というものに沿いながら、生きていることを感じた。心という不可思議で一生をかけても、そのすべてはわかり得ないものをそれぞれがかかえていることも感じた。親から授けられたこの命は親の親から授けられたものであり、その今私に手渡された生命が、想像をはるかに超えるだろう古くからの縁と運命ゆえに連なっていることを知り、この命の儚さやかけがえのない思いを感じた。今思うことは、今日が来るかぎり、生を全うすること、今私が持つこのかけがえのない命を大切に思い生きることが頭を巡る。18歳のころに思っていた思いから今感じている思いはこれまでにかけ離れたものとなっている。心とは不可思議なものだと改めて感じる。



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