ウズベキスタン④ ブハラ編
朝食から始まった友情
サマルカンドからブハラへ新幹線で移動し、到着したのは深夜。
そのまま宿までタクシーで行き、受付を済ませて就寝しました。
翌朝ゆっくり寝たかったのですが、この宿は家族経営(というより母親と息子?)で、朝食時間が確か8時からと決まっていた為、起こしてもらいました。
朝食部屋に行くと、既に3人いて、最初はみんな眠そうにしていましたが、自然と、それぞれの出身地やどういうルートで巡ってきたか、という話に花を咲かせ、あっという間に1時間くらい経っていました。
50歳くらいのポーランド人男性、26歳のフランス人男性、30歳の中国人女性という構成で、ポーランド人とフランス人と一緒に出掛けることに。彼らの人生が面白かったので、ここで紹介させてください。
50歳のポーランド人は、名前はヤティック。50歳になり、このまま仕事しててもいいのか、と考え始めて、退職を選び、中央アジアを8ヶ月間周遊中でした。新卒で、誰でも知る外資系投資銀行に入社し、数年を過ごした後、退職までBritish Landという英国大手の不動産会社に勤めていたようで、日本の不動産の話も少しばかりしました。
26歳のフランス人は、名前はユスティン。彼は、大学で「歴史・哲学」といった文系の学位を3つ取得した後、人生はゆっくり過ごしたい、という彼の人生観から、春から秋の間だけオープンするアルプス山麗に位置するレストランで勤務しています。休みとなる冬に数ヶ月旅行するというスタイルで、今まで南米やインドを廻ってきていました。
30歳の中国人女性は、名前は発音が難しく、失念しました…彼女はもともと中国で働いてましたが、「Everyday early morning, I'm tired !!」という僕も感じていることを感じ、退職し、お父さんのお金で各地を旅行しているようです。大学では絵を勉強しており、宿で絵のレッスンをいただきました。
ブハラだけでなく、隣の都市ヒヴァでも一緒だった為、1週間くらい時間をともにして、今でもたまに連絡を取り合っています(ちなみに、ずーと一緒にいるわけではなく、それぞれが好きな時間に外出して、暇だったら、カフェにいるよーって連絡を取り合い、適当にあって時間を過ごす、というスタイルで至極快適でした。)
※以下が宿泊した宿です。タシケントやサマルカンドの宿のほうが、水回りは清潔でしたが、出会いもあり、思い出深い宿でした。
スザニとシルクカーペット
ブハラはお土産の街としても有名で、タシケントやサマルカンド、ヒヴァよりお土産屋が一番多かったと思います。(ブハラ→ヒヴァ→サマルカンド→タシケントの順で多い)
普段の旅行では、ほとんどお土産を買わないですが、今回は欲しいものが沢山あり散在してしまいました。
ブハラからトルクメニスタンへ
ブハラで3日過ごし、トルクメニスタンに向かいますが、その話は別の記事に書きます!
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