"雑さ"に宿るバイブスの価値
最近、品品団地の住人になりました。
"ラッパーTaiTanと音楽家 玉置周啓とによるPodcast"「奇奇怪怪」等を起点にし、"TaiTan、玉置周啓、神戸雄平(PERIMETRON)を管理人とした月額制のファンコミュニティ"とのことです。
比較的前から「奇奇怪怪」は聴き続けていまして、興味はずっと持っていたんですが、最近のサブスク費用の肥大具合が気になっていたという個人的事情もあり、入っていませんでした。
ただ、近く、若林恵さんと陰謀論について語るコンテンツも出すなどという話もあり、入るなら今だなと思ったわけです。
"雑さ"に宿る面白さ
そんなわけで、せっかく入ったので、品品団地のテキストをざっとみていたのですが、特に面白かったのが、Taitanが週3で更新している「回覧板」でした。
「週3更新。だから基本乱文御免」とある通り、綺麗にまとまったテキストでは決してないのですが、だからこそ感じる面白さというのがある気がします。そこでキーワードになりそうなのが、"雑さ”なのではないかと考えています。
このテキストには、ある種の"雑さ"を感じているのですが、こういう
"雑さ"にこそ宿る面白さというのがあるのではないか。"雑さ"に宿るバイブスというのがあるのではないか。
と考えるようになりました。
綺麗に整えられたテキストは、もちろん熟慮が込められていて、論理もしっかりしているし、文体も整っていて、読みやすかったりする。
しかしながら、そこにはテキストに込められた初期衝動的なバイブスがどうしても薄れてしまうのではないか。
だからこそ、"雑さ"があるテキストだからこそ、感じられるバイブスというのがあるのではないか。
ここでいうバイブスとは、生々しさやリアリティと言い換えてもいいかもしれません。
音楽と一緒ですね。もちろんウェルメイドな音楽が悪いとかそういう話ではないが、やっぱり初期衝動満載の音に感じる魅力ってありますからね。
そういう話です。
"雑さ"を感じるテキストたち
もともと、SNSというのは、こういう"雑さ"があるテキストが溢れており、そこが面白い場だったのではないか、と思います。
が、昨今の社会環境におけるSNSは、どこからともなく矢が飛んでくる地獄と化し、"雑さ"は大きなリスクであって、あえてリスクを犯して書く場所ではなくなってしまったように感じます。
品品団地のテキストがクローズドであるのも、そういった流れを汲んでいる部分は多少はあるのではないでしょうか。
他に、良い意味での"雑さ"を感じるテキストはあるかなと思うと、思いつくのは、こにふぁーさんによるその名の通りのブログ、Konifar's ZATSUです。
エンジニアの文脈における仕事に関する、"雑さ"がある文章をたくさん書かれていて、とても勉強になります。
背景は全然理解していないのですが、もともとエンジニア系では、雑に書くという文化がある気はしていて、まさしくそういう文化を体現しているテキストたちで、どれもこれもそこらへんにある話とは少し角度が違って、まさしくバイブスがあり、面白いです。
別軸だと、草野美木さんと宮武徹郎さんによるテック系ポッドキャスト Off Topicのnote有料会員限定で読めるテキスト「Daily Memo」もその一種と言えるのではと思います。
平日毎日書いているのかなと思いますが、"雑さ"というと語弊がありそうな質ではあるものの、本編のポッドキャストと比べれば軽い内容で書かれているテキストたちという意味で、ここでいうバイブスみたいなものがある様に感じています。
ちなみに、もともとこのnoteも似たような思想はあり、雑に頻度高く更新しようと思っていたのですが、最近諸々あってうまく出来ていないというのが実情ではあります。。。
ショート動画の価値は"短さ”ではないのでは?
というようなことを考えていて、自分の中で気になってきたので、話を発散させて考えてみます。
ショート動画・短尺動画が世の中のメインストリームを握りつつあるような雰囲気がある今日この頃ですが、
この文脈で考えてみると、
ショート動画・短尺動画の価値は、単に短くて、摂取しやすいというのではなく、そこにある種の"雑さ"があり、バイブスが宿っているからなのでは?
と思い始めました。
雑であればバイブスが宿るわけではなく、"雑さ"に宿るバイブスというのがあるという話と同じで、
動画が短ければ良いという話では全くなく、短いのであればあまり気構えずに、生々しさのある動画も挙げやすいということなんじゃないかなということです。
とはいうものの、TikTokとかほぼみないし、あまりこの辺明るくないので、実際どうなのかはわかりません。
でも、そこまで外れてないような気もしています。
最近の長尺動画を巡る状況
このようにショート動画の価値を考える中で、ではロングフォーム=長尺動画はどうなんだろう?と気になり、考えてみたのですが、これも同じことな気がします。
まず自分の現状認識を簡単に整理すると、
実は、長尺動画のニーズは十分存在しているという理解です。
アメリカのポッドキャストは普通に3時間とかやっているというのは良く聴く話です。
ここでは、ジョー・ローガンのポッドキャストはイーロン・マスクが出て、だらだら喋ってたりするだけなのに、3000万フォロワーがいるという話だったり、半分ロシア語のプーチンのインタビュー動画は2時間以上あるのに、1日で何千万再生されているということが言及されています。
またここでも書かれていますが、2024の大統領選に、こういう長尺のポッドキャストが及ぼした影響というのは少なからずありそうです。(有料記事ですが、画像部分だけでもわかります)
ちなみに、そもそもOff Topic自体が長尺なのは、ニュアンスをしっかり伝えたいからという話もありました。
少し視点を変えれば、東浩紀さんが立ち上げた“超長尺”動画配信プラットフォーム『シラス』も、長尺の可能性を追求していて、比較的うまくいっているのではないかと感じています。
以下でも長く話すことの価値を話していました。
1時間とかで企業の課題を聞いて何か面白いことやりたいんですよねみたいな話をされても、何もわからないと。
最低5時間は話すことで、ようやくクライアントの置かれている状況や欲望が理解できて、はじめて本題の話ができるようになるんだ的な内容です。
ここでいう"長く話す" は、 "撮れ高が取れるまで喋り続ける" ということであり、話が物理的に長いことではないというのも興味深い点です。
直近でも、以下で、2024大統領選におけるポッドキャストの影響と、日本の実地でこの文脈をしっかり汲んで取り組んでいるのは、『シラス』だけだという話をしていました。
踏まえて、長尺動画の価値を考える
さて、ではこの長尺動画には、どういう価値があって、みな長尺の良さを語っているのでしょうか。
↑の引用元あたりでも話されているのは、親密性の話かなとは思うのですが、それは長尺を聴いたことによる結果だと思うので、ここで考えたい話とはちょっと違う気がしています。
そこで、このテキストの文脈で考えると、こう言えるのではないかと思いました。
つまり、長尺で話す際、事前に準備したことだけで乗り切ることは現実的に不可能であって、必ず自分の中にある"雑さ"が表出する場面があり、そこに面白みを感じるのではないか
ということです。
やっぱり、ものすごく根源的な面白さって、こういうところなんじゃないかと思います。
確かに事前に綿密に練り上げられた洗練された何かに感じる面白さというのもあるのだとは思うんですが、それは非常にアーティスティックなものであって、
もっと生活に身近な面白さというのがあって、それはこういう”雑さ”から感じるバイブスのような意外さであって、そういうものをどういう形で届けるか、という話なのではないでしょうか。
最後に念の為改めて書いておけば、"雑さ"があれば良いという話では全くなく、十分な品質を伴ったアウトプットにおける"雑さ”の中にしか宿らない何かがあるのではないかという話なので、
とりあえず雑なだけの低品質のものとかは、今回の話とは全く関係ないです。(あえて書いたのは、最近Xでたまに謎にフォロワーだけ多いインフルエンサー系のアカウントをよく見かけるから、、、)
という話を雑に書きたかったのですが、明らかに多すぎる文字数になってしまいました。。。(内容自体には"雑さ"はある気がしますが)
十分な品質を伴いつつ、"雑さ"が宿ったテキストを書けるようになりたい所存。
#日記 #雑記
#雑 #バイブス #長尺 #ポッドキャスト #テキスト #文章 #品品団地 #OffTopic #blkswn #シラス #ゲンロン
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?