内輪であること
Internal meeting<社内会議、内部会議>
cllctv.辻の企画で久々にカメラを持った。
顔合わせの時だったか、「みんなで内輪になっていきましょう」と言っていた気がする。はたまた誰かのMCだったか。
ちょっと前、それこそ2、3年前までは「内輪」がすごく嫌いだった。いつまでも高校の友達と遊んでいるとか、サークル以外に友達がいないから社会人になっても交友関係が狭いとか、そういった関係性に自分は嫌悪感を抱いていた。別にその人たちと仲良くできないというわけでもないのだけど、「内輪」の中に飛び込んだ時の落ち着かなさというか、自分の異物感が気になって仕方なかった。
結構頻繁に、自分に地元は無いという話をしてしまう。転校生として自我が確立する時期を育った自分としては、内輪=地元のように感じていたので取っつきにくかったのも内輪という在り方に対する嫌悪感の一つだったのかもしれないなと思う。
1月になり、27歳を迎える年となった。両親が自分を世に出したのと同じ年齢だ。時代背景が違うとは言え、この歳で家族を持ち、子供を作るという覚悟はまだ自分にはできない。それは相手どうこうの問題ではなく、自分の気分の話であるからそこまで気にする事もないのだが。
ただ、最近になって、自分の知り合い同士を引き合わせたら勝手に仲良くなってることが多くてとても楽しいなと思うようになった。大学生のときから、自分が楽しいと思っている場に友達を連れていきたいと思っていたけれど、なかなか実現しなかった。それも含めて内輪って嫌だなって思っていたのだけれど、最近仲良くしている友人たちは「とりあえず楽しそうだから行くよ」のスタンスの人が多く非常に気が楽である。
冒頭の記事で辻が
”僕らはこれから、新しいコミューンを作っていきます。コミューンとは、言ってしまえば内輪です。僕らが楽しい内輪をこれから作っていきます。ただ、絶対に閉じたものにはしません。みんなで楽しく音楽と遊びましょう。”
と述べていたけれど、これが最近の気持ちよさ、気の楽さの根源にあるのかもしれないなと思った。自分と仲良い人と自分と仲良い人が仲良くならないわけないじゃん、仲良い人の仲良い人と仲良くできないわけじゃん、全員それなら最強じゃんという気分である。「絶対に閉じたものにしません」これが大事だ。自分はコミューンを作ろうとまでは思っていないけど、遊びにひたすら人を誘う、誘われたら極力行く、ということを繰り返していきたい。
毎週末が楽しくなる2020でありますように。