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『なっちゃんはまだ新宿』を観て、ぐっちゃぐちゃになったので、ぐっちゃぐちゃな感想

初めまして、皆様ご存じ書三代ガクトです。
推させていただいている古書屋敷こるのさんと、花野ねもさんが同時視聴をされていました。

なっちゃんはまだ新宿』は恥ずかしながら存じ上げなかったのですが、
感情をぐちゃぐちゃにされたので、noteにまとめてみます。
とても好きな映画になりました。お二人に感謝。

ただぐちゃぐちゃなまま書きますし、
映画をご覧になっている方向けの内容なので、単品で見てもよく分からないです。
先に映画、配信を見て下さいまし~。

また映画の背景等はあまり調べていないので、noteでは書きません。
お二人の配信でも話されていたので、その点も興味がある方はぜひ配信をチェックしてね。

「まだ」という言葉、めちゃくちゃ怖くない?

本作は視点人物である”あきちゃん”17歳と28歳が描かれます。
彼女が好きな人は岡田。彼には”なっちゃん”という恋人がいました。
そしてあきちゃんの中でなっちゃんがどんどん大きくなっていく話。

ざっくりしたあらすじですが、人生の二つのタイミングが描かれる本作。
その間にあぶり出されていくのは時間だなと思っています。

時間と共に自分を全部写すようになったそのバンドを

作中でも上記のモノローグ(語り)があり、バンドあきちゃんという捉え方も。
つまり歌詞があきちゃんにかなり肉薄する印象でした。

個人的に年齢を描いたという「30」の歌詞が死にそう

脈々と続いていく人生を歌う内容ですが、その大きな流れの中で”まだ30だ”という歌詞が出てきます。

”まだ30だ”

私は今しか感じられません。なのに"まだ"。
救いにもなる視点だと思いますが、私が感じている今が氷解し、ゼロになるような無力感を突きつけられる錯覚。
常に感じながら、一つの言い訳にもしている、時間の流れ。そこに含まれる、落ち着かなくなってしまうような疎外感めいたなにか
それが”まだ”という一単語で意識させられるような気がしています。

そしてこの感覚こそが『なっちゃんはまだ新宿』に強く感じた印象ですし、私がぐっちゃぐっちゃになった部分でもありました。

岡田がどうしようもなく、嫌い、怖い

彼はよくいる人間だと思います。普通の人間。

うまく生きているというか、うまくもないし、へたでもない。
当たり前のことをして、当たり前に生きている。
優しい、けれどちゃんと感情もある。
すべてがうまくいくわけでもないし、ほどよく受け止めたり、少しずれた形であったりしたり。

そんな、生きている。生きている人間。

マジで無理、嫌い。

なっちゃんも忘れている。
それにキレるあきちゃんは当然だと思うし、けれどそんなあいちゃんを怖いと言う岡田も当然だと思います。

多分、岡田は一般的に言われている”生きること”を体現しているように私には見えているんだと思います。
大事な感情も、大きかった瞬間もちゃんとその時、その時に受け取って、
けれど忘れてしまう。

もちろん、彼自身の固執するもの、しているもの、大事にしているものはあると思うけど、そんなに強く書かれている印象はなくて、恐怖です。

“まだなくなったものには気づかないけど、あきちゃん、ずっと気づかないでいてね。“

あきちゃんは岡田との関係を大事にしている。
けれどそれは岡田となっちゃんの関係の次にあるもの。
そして岡田となっちゃんの関係はメール1文では終えられないようなとても大きなもの。

だからあきちゃんは岡田が忘れていることにキレたんだと思います。
終わったものを終わったものとして忘れられる岡田にキレたんだと思います。
(同時に自分が岡田に向けている、きっと岡田も抱いている大きな感情への思いもあいちゃんの中でリンクしているような気がします)
(そもそも岡田にとって大事だったのかどうか。そこまで考えるのはちょっと怖いですね)

もちろん、あきちゃんの中でなっちゃんが大きな存在であることもキレた理由だと思いますが、彼女のそれは岡田と共有はできないからいったん保留。

なっちゃんとあきちゃん

あきちゃんは28歳の時になっちゃんに対してかなり過激なことをします。
なっちゃんのお仕事(?)をお金でおじゃんにしたり、夜歩いたり、刺したり。

特にお金の部分はかなり印象的なセリフがありまして、
今までの自分を見せつけ、今のなっちゃんとの違いを突きつけるようなものです。

あきちゃんにとっては17歳のなっちゃんと地続きだし、
深読み部分で「逆だったかもしれねぇ」に近いものも感じていたりしました。

なっちゃんは実在したのか。

したと思いますが、あきちゃんと会話したなっちゃんは多分、いないかなと。
岡田の恋人であったなっちゃんはいたし、担当タレントと共演したなっちゃんはいたと思います。
(他スタッフも見てるし)

じゃあ、タンスにいた彼女は? バスの扉を開けた彼女は? 刺した彼女は?

どこまでが現実で、どこまでがあきちゃんの中なのかはすごく難しいですし、個人的には刺したときに殺してしまったんじゃないかまで考えました。
(バスのシーンは好きなので、いてほしいです)

ただ、実在有無はどっちでも。
だってあきちゃんにとってのなっちゃんがやっぱり大事だから。

ラストストップ

本作のクライマックスにPOLTAさんの『ラストストップ』があります。
(作中のPOLTAさんってガチのPOLTAさん(?)だったんですね)

祈りの歌詞です。思うことです。
ラストストップの歌詞、あまりにもヤバイので、youtube公式のMV概要欄の歌詞を読んでみて下さい。
(比重あたりが本当に好き)

あきちゃんへのなっちゃんへの感情に近いけれど、このシーンはあいさんの「あきちゃん、いつもそばにいてくれてありがとう。」というMCから始まります。

あいさんは幼なじみで、ずっと一緒にいます。
(17歳以前から28歳でも)

彼女が歌う一緒にいること、思い続けること。

そして映像では17歳のあきちゃんの映像が流れます。

誰の視点ですかねぇ!!!
最高ですね!!!

あきちゃんにとってのなっちゃん、あいさんにとってのあきちゃん

作中でずっとあきちゃんのことを語っていたモノローグがあります。
それがあいさんの語りだと気付いたのは後半になったぐらいでした。

そして「ありがとう」から繋がるラストストップ。
あきちゃんにとってのなっちゃんがそうであったように、
あいさんにとってのあきちゃんがそうであるのかもしれない。

あー吐きそ。

最後に好きなところ列挙

・鏡での表現
・ソフトクリームでの表現(なっちゃんの象徴)
・バス運転手の「ぅ゛え゛ーっ」
・心の揺れに合わせたカメラ
・教室の前で演奏を待てるあきちゃん
・前髪を自分で切り、なっちゃんの髪も結えるあきちゃん
・バスでパンを食べる過去話をするあきちゃんと、気にしないなっちゃん

というわけで、ぐっちゃぐっちゃな感想をそのまま言語化しました。

ここからは関連しているようなしていないような自分語り。

私は人生の一連性が本当にダメで、大人になることがどうしようもなく無理で、生の生性が受け入れがたい。

一応の注釈を置いておくと、特にトラウマとか、過去に固執しているわけでも、未来に期待しているわけでもないです。
今が一番良いと思っていますし、けれど理想の数歩手前だとも思っているみたいな。

ただ、本作を観て、そんな色んなものがあぶり出されて、揺るがされたような感じがしました。

何かに執着している人が好きです。切実な方々が好きです。
でもそれらをいろんなものを共有できないのは当たり前で、辛くて、

だからこそ共有できた奇跡を大事にしたい。

だから私はいろんなコンテンツについての想いをつたない言葉で、ぐっちゃぐちゃなまま発信しているんだと思います。特に、今回の感想はまとめきれなくて、わけもわからなくて、公開するのはめちゃくちゃ悩みました。
けれど、それ自体がないと、奇跡さえも起こらないので。

だから岡田が嫌いです。よく分からないけど「ごめんね」って言ってしまえる岡田が嫌いだし、忘れてしまう岡田が嫌い。
でも私も岡田で、あきちゃんで、なっちゃんで、あいちゃんなんだと思います。

本当に辛い。最高。


そんな風にコンテンツの話をしているのが書三代ガクトです。
すべての配信は祈り。ぜひ見ていただけると嬉しいです。
別に、見なくても、幸せで生きていてくれたらそれでいいですが。
よしなに~。





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