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本当はの話

先日インスタで「本当はの話」を募集した。
自分の中にどんどん溜まっていく消化しきれない気持ちをどこかに吐き出したくて、眠れなくて、考えれば考える程孤独な気持ちが深まって。
自分だけがこんな気持ちになるのかなって不安で気がついたら募集していた。とにかく安心したかったんだと思う。

本当はの話をすると大体良い顔をされません。
過去にすがりついていても何も変わらないっていうのは理解できる。
けれど、湧き上がる感情ってそんなに簡単に消せるものではないし、頭では分かっていても心が頷かないような状態ならば、ものその感情にひたすらに寄り添うことしかできることはないと思う。
なんせ私は、寝て起きたら嫌なこと忘れられるようなコスパの良い人間ではないので。

感情に寄り添う、もっと言えば向き合うって書いたり・話したり、色んな方法があると思う。本当にきついなというときは、手っ取り早く誰かにその重荷を分けて楽になりたいと思うし、人と話すことで自分とは違う価値観・物の味方を知って楽になるときもある。でも、本当はの話はその段階にいかない。こちとら真剣に話しているのに、またかみたいな顔をされたら話す気もなくなる。安易に話して、どストレートな正論を言われることもいや。
本当にわがままなんだけれど、ただ同じ熱量で聞いていてほしいだけなのにと。

前にも書いたけれど、インスタで投稿をするのは自分のためであって、忘れたくない気持ちや言葉・感情・風景、そういうものを全部ひっくるめて残して誰かにみてもらって、少し消化された感覚になる。だから、私にとっては行き場のない感情を供養するための場所なのね。
本当に悲しいことだけれど、私は自分が自分じゃなきゃどんなに良かっただろうと未だに思ってしまう時がある。インスタにいるとそんな不器用な自分を含め飾らない自分でいても良いんだと思える瞬間があるからちょっと救われてる。

本当はの話を募集して、孤独感から抜けだしたかったのと単純に自分と同じように行き場のない感情をもっている人の気持ちが少しでも楽になれたら良いなと思い、募集をした後に投稿させていただいた。誰かの目に自分の本当はの気持ちが止まって、誰かが思いを馳せて、消化されて、また朝になって。
募集はしたけれど、一人一人のエピーソードの背景や時系列などは全く分からないし、そこはあえて知らなくて良いと思う。同じように孤独感に苛まれている人がいて、眠れない夜があって、そんな共通点があるってだけで少しだけ救われる気持ちがあると思って投稿をさせてもらった。今どき流行りの投稿スタイルになって、なんだかミーハーのような形になってしまったことだけもう一度すみませんとお伝えします。

こういうご時世になって、この2・3年は今まで以上に本当は、と思うことが増えたように感じる。生きていく限り本当はってことは積もっていくと思うし、年齢を重ねれば重ねるほど言葉に出すことは難しくなる。駄々をこねる子供のように何でも言えたらそりゃあ良いよね。もう子供じゃないから、現実では大人として振る舞わなきゃいけないから、ちょっと本音をつぶやいた、ただそれだけ。



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