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モンゴルの思い出

今日は9月の頭に行ったモンゴルでの思い出について綴ろうと思う。
私は国際ボランティアサークルというサークルに所属しており、その活動の一環で自身の希望でモンゴルへ行くことになった。
波乱の幕開けとなった一日目分かってはいたが知り合いは同じ大学の男の子1人で残りは知らない子達だった。さらに衝撃的だったのは男子が自分含めて3人だったことだ。以前聞いていた話では4対6くらいかな?との事だったので男子が少し少なくなるくらいは想定していたがまさかの3対17つまり約1対5の比率でモンゴルに行くことになった。
みんな違った境遇で名古屋から来ている子や中には関東から来ている子もいた。
自分から何となく積極的にコミュニケーションを取っていたがなかなか先輩方以外の女の子達とは打ち解けることは出来なかった。
経由で韓国に行って食べたサンドイッチが
僕の身体に合わなかったみたいで結果的にモンゴルの1日目から4日目までほとんど何も食べれない悲惨な思いをすることになった。
モンゴルについて初っ端衝撃的だったのは刑務所みたいなホステルに泊まったことだ。着いたのが夜中だったこともあり、辺りは真っ暗で凄い怖かったことを覚えている。
疲れていたのでその日はすぐに寝てこうして波乱の一日目が終わった。
二日目は脅威の10時間のバン移動。
正直おしりが痛かったこと以外何も覚えていない。ただモンゴルには野生のやぎ羊馬ラクダなどがいて大草原も迫力満点だった。
そんなこんなで到着した先はゴビ砂漠だった。
すごく乾燥していて寒いのか寒くないのかよく分からない気候だった。
あの日見た星は私が今まで見た星でいちばん綺麗だっただろう。日本では到底見ることの出来ない美しすぎる星だった。
その日からウランバートルに帰るまではゲル生活だった。電気がつかなかったりコンセントが2個しかなかったり、シャワーがなかったり、様々な辛さがあったが隣には多くの仲間がいたのですごく充実した日々だった。
特に仲良くなったのは東京から来た女の子だった。お互いにいじりいじりあいの関係になれてすごく嬉しかったことを覚えている。
ゴビ砂漠では様々な体験をした。
ラクダに乗ったり、世界遺産に行ったり、毎日長時間の移動で本当におしりはしんどかったけどそれすらも思い出だ。
特にゴビ砂漠で覚えているのは早朝から砂漠を登ったことだ。いきなり砂漠を登らされて本当にしんどかった。一緒に来た男の子達はあっさり登っていたし、女性陣も半分以上は登りきっていた。強い女性ばっかりだった。
1部の先輩は下の方で断念してたけど笑
良く考えればこの日当たりからみんなと仲良くなって素で過ごせるようになった。
あの日見た朝日は人生で1番美しい朝日だった。
たった3日で人生で1番に2回出会えるとは思っていなかった。
ちなみに私はお腹を壊して死にそうになりながら砂漠を登り、苦しみながらラクダに乗りました。
そんなこんなでゴビ最終日を迎え、ウランバートルに帰る日に、私は自然に触れ合いに来たけれどシャワーを浴びれない日々は想像以上に辛くウランバートルに戻りたい気持ちでいっぱいだった。
ウランバートルに戻った日も初日と同じホステルに泊まった気がする。疲れすぎててあんまり覚えて居ない。
ウランバートルでは基本自由行動が多かった。
男子3人で怪しい市場に行って値下げ交渉をしてみたり、5歳の子が働いている現場を目の当たりにして衝撃を受けた。
夜ロッテリアでご飯を食べていると物乞いが来てポテトをよこせと言ってきたのも印象的だ。
ボランティア活動をした日には孤児院で現地の子供たちと触れ合い言葉は通じなかったけど遊びを通じてたくさんの笑顔を見ることが出来た。思えばあの時初めて子供が好きになったのかもしれない。
次のバスを逃すとウランバートルに帰れないよと言われてみんなで走ったのもいい思い出だ。
バス停で待っていたら一生バスが来なくて逆サイドだったこともそんなどうでもいいことですら幸せな時間だった。
帰る日に食べたアジアナレストラン一人前の量を確認したら少ないよと言われたので沢山頼んだらアホみたいに山盛りのチャーハンが2つやってきて、、、モンゴルってホント侮れないなと思った。
今日で大好きだったみんなと離れることになるのかとすごく寂しい気持ちでいっぱいだった。
特に1番仲良くなった関東から来た女の子との別れはすごく寂しかった。まぁそこで話すの終わりかと思っていたら飛行機も隣だったんだけどね。
まだまだ沢山書きたいことはあるけど残りは私の心のノートにしまっておきます。
男3人の中仲良くしてくれた同じ年のメンバー。
弟のように可愛がって心配してくれた先輩方。
やっぱりいてくれて安心した大学の同期。
甘いマスクなのにダメダメな男の先輩笑
全員すごく大好きなメンバーでした。
ほとんど喋らなかった子もいたけどそれでも
全員の顔を覚えています。
(名前は半分くらい忘れました。)
たくさんの文化の違いに触れて
日本がいかに恵まれているか感じられたし、
どんなに貧しい子達でも笑顔が絶えない国だったモンゴルはすごく素晴らしい国でした。
いつか交通のインフラを治しに行きます。
またいつか会おうなチンギスハン!


あとがき
長々と読んでいただきありがとうございました。今回は初めてとなる完全なる日記でした。
前々回の旅のノートと合わせてお読みください

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