偏頭痛で寝ていた
思うように書けなくなってしまったのは、多分人の文章と自分の文章を比べてしまっているから。と自分の中で勝手に結論づけてさっきまで書いていた文章を下書きに保存し、今これを書いている。
Twitterを見ていると、労力を得るには「続けること」が大事、というツイートに出会った。さっき書いたから今日はもういいやと思っていた自分が殴られた感じだ。書けないを建前に逃げていたようだ。
フォロワーが増えなくても、いいねが増えなくてもやめる理由にはならない。自分がもう書けないと思ったとき、自分は文章を辞める。
猫みたいにコロコロやりたいことや興味が変わるので物事が続かないタイプだ。そんな自分が唯一続けようと思えたことなので、辞めるときは死ぬときくらいの覚悟をもって続けていきたい。
文章を書くことは好きではないが、嫌いでもなかった。だから続けられているのだと思う。好きという感情には期限があると考えている。その時は好きでも、それが一生好きかと言われればノーと答えるだろう。だから好きと嫌いの中間くらいが続けるにはちょうどいい。もちろんめちゃくちゃ好きで続けている人もいるからこの通りではない。
文章は自然と書いていた。Twitterなんかは10年以上ほぼ毎日ツイートしていたし、アメブロやTumblrもやっていた。もうどれもやめて(Twitterは最近再開した)、noteに統一した。
多分Twitterがら10年続いたのはツイートが習慣になっていたからだと思う。思ったことはすぐ吐き出すという習慣が自然と生まれていた。多くても140字だから、書くことへのハードルも高くない。だから続けられていたのだ。
短くても発信することに意味があると思う。短いならTwitterでやれよと思うかもしれないが、noteにも「つぶやき」という機能もある。書けない時はつぶやいてそのトピックを簡単にまとめておこくこともできる。使い方はそのひとしだいなのだから。
毎日続けなきゃと思った途端書けなくなってしまう。どんどんハードルを下げていき、習慣づけをしていきたいと思う。