【~連載~静岡の歴史を学ぼう107】Satta mountain Pass Part 2 さった峠 パート2
※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。
さった峠に行くと、その富士山の美しさに目を引かれますが、駿河湾も本当に美しいです。静岡っていいな~と思えます。
Satta mountain Pass Part 2
さった峠 パート2
The cliff was so steep that the road could not be made till the beginning of the Edo period.
崖はたいそう急だったので、江戸時代の初めまで道を作ることができませんでした。
However, there was a big reason why the road through Satta Pass was developed.
しかしさった峠を通る道を作らねばならない大きい理由があったのでした。
Chosen Tsushinshi, or the Joseon Mission was an important foreign policy to keep a peaceful relationship in Eastern Asia.
朝鮮通信使は東アジアの平和的な関係を維持するのに重要な外交政策でした。
The Joseon missions were diplomatic parties sent to Japan by the Korean dynasty during the Edo period.
朝鮮通信使とは江戸時代に朝鮮王朝が日本に送った外交使節団のことです。
This diplomatic policy began in the Muromachi period to keep a good relationship with Korean dynasty.
この外交政策は朝鮮王朝との友好関係を保つために室町時代に始まりました。
However, it was stopped due to Imjin War caused by Toyotomi Hideyoshi.
しかし、それは豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵(文禄・慶長の役)のために止まってしまいました。
Tokugawa Ieyasu restarted this foreign policy to recover the diplomatic relation in 1607.
徳川家康は1607年に国交を回復するためにこの外交政策を再開しました。
Their smooth travel was so crucial that the Edo feudal government built the road through Satta Pass in 1655.
彼らの順調な通行は重要だったため、江戸幕府はさった峠を通る道を1655年に作りました。
Nowadays, we can view Tokaido train line, Route 1 and Tomei Highway from this location.
今では東海道線、国道1号線、東名高速道路をこの場所から見ることができます。
Three major transportation systems can be seen at the same time.
三つの主要交通網が一度に見られるのです。
参考資料:薩埵峠と東海道の 「今」 「昔」 をたどってみよう - 静岡市
薩埵峠案内板
Interaction with the Joseon Missions (Part 2)
九州と諸外国の交流ストーリー集2019
http://www.qsr.mlit.go.jp/.../story2019/english/index.html
写真上:さった峠 提供:静岡市
歌川広重「東海道五十三次 由井 薩埵嶺」
葛飾北斎「東海道五十三次 鈴本駅路鈴 原」朝鮮通信使が描かれています。
カンザクラと富士山が見えました。(21年2月25日撮影)
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