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【~連載~静岡の歴史を学ぼう171】Visiting Rinzaiji Temple on October 15 Part2             10月15日に臨済寺を訪れる パート2

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。

静岡市の古刹、臨済寺は禅寺であるため、一般に公開されるのは年に2日のみ。その1日、10月15日の一般公開の模様をお伝えする2回目です。

Visiting Rinzaiji Temple on October 15 Part2

10月15日に臨済寺を訪れる パート2

On this day, praying to the goddess, Marishiten, for warriors’, is held every year.

この日には戦いの神である摩利支天の祈祷が毎年行われます。


臨済寺 本堂

The goddess was strongly worshipped by Lord Ieyasu.

この神様を家康公は強く崇拝していました。

Once a year, this Buddha statue enshrined in ‘Zazendo’ opens to the public.

年に一回、坐禅堂に安置されているこの仏像が一般公開されます。

摩利支天像   臨済寺 坐禅堂にて

Zazendo is a place where Buddhist monks practice Zen training.

坐禅堂は仏僧が禅の修行を行うところです。

According to tradition, the style that the goddess of Marisiten rides on her wild boar indicates her bravery.

摩利支天がイノシシに乗っているスタイルは勇敢さを表していると言われています。

These 39 Buddhist priests including the statue of Marishiten were enshrined in Shizuoka Sengen Shrine during the Edo period. But they were later on relocated.

摩利支天像を含む39体の仏像は江戸時代、静岡浅間神社にありました。しかし後に移されました。

静岡浅間神社内、八千戈(やちほこ)神社
江戸時代、摩利支天像が祀られていた。

The reason why these Buddha statues were transferred is related with the Meiji Restoration.

なぜこれらの仏像が移されたのかは明治維新と関係しています。

The Meiji government implemented its policy called ‘Shinbutu binri’, which clearly separated Shinto from Buddhism.

明治政府は「神仏分離」と呼ばれる政策を施行しました。神道と仏教をはっきり分離しました。

The Edo feudal government was closely connected with Buddhist temples to maintain its political system.

江戸幕府は政治組織を維持するために仏教寺院と密接に連携していました。

In addition, Japanese Buddhism incorporated Shinto components since Buddhism was introduced to Japan in the sixth century.

更に、日本の仏教は、6世紀に日本に仏教が伝来して以来、神道を取り入れてきました。

The Meiji government tried to improve their power by abolishing Buddhist components from Shinto shrines.

明治政府は神道から仏教的要素を排除することで、政府の勢力を強めようとしました。

This new policy and then social instability drove people to throw away Buddhist statues across Japan.

この新しい政策と当時の不安定な社会的状況があったため、日本中で仏像が処分されることがおきました。

Therefore, the 39 Buddhist statues enshrined in Shizuoka Sengen Shrine were moved to Rinzaiji Temple to protect them during the Meiji period.

それ故に、明治時代、浅間神社に祀られていた39体の仏像は保護するために臨済寺に移されました。


臨済寺 坐禅堂にて摩利支天像と共に公開された仏像 摩利支天像の右側

臨済寺 坐禅堂にて 摩利支天像左側の仏像


こちらも静岡浅間神社内の八千戈神社より移された仁王像 阿形

同じく 仁王像 吽形



参考資料:臨済寺坐禅堂、摩利支天像前に貼られていた文書

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