【~連載~静岡の歴史を学ぼう199】Former Shimo-Okeyacho 旧下桶屋町
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駿府のなくなった町名の一つ、下桶屋町です。現在の昭和町付近にあたります。 桶は江戸時代、様々な用途で使われました。
Former Shimo-Okeyacho
旧下桶屋町
‘Oke’ means a wooden container that has been made in Japan traditionally.
「桶」は日本で伝統的に作られている木の容器を指します。
It is comprised of only three materials: wooden board, bamboo, and rope. That’s all.
それは三つだけの材料で出来ています。木の板、竹、そして縄。それだけです。
Oke artisans use a high-quality technique to make oke that is durable.
桶職人は高い技術を駆使して、耐久性のある桶を作ります。
Oke was an essential item to support everyone’s life in Japan.
桶は日本でみんなの生活を支える必須の道具でした。
It was used in various ways such as a tub, barrel, bucket, cask, water butt.
たらい、樽、バケツ、貯蔵樽、水桶など様々な方法で使われました。
In fact, we have a proverb, 'Taga ga yurumu', which literally means that the bamboo belt (taga) holding the oke together has loosened.
実際、「たがが緩む」ということわざがあり、文字通り、桶を締めている竹のベルトであるたがが緩むことを意味します。
It means that one's willpower has weakened.
それは人の意志の力が弱くなっていることを意味しています。
In Sumpu, oke artisans used to live in two districts: Kami-Okeya-cho and Shimo-Okaya-cho.
駿府では桶職人は二つの町内に住んでいました。上桶屋町と下桶屋町です。
‘Shimo’ refers to the south, while ‘Kami’ refers to the north.
「しも」は南を指し、一方「かみ」は北を指します。
Kami-Okeyacho still remains in the present; on the contrary, Shimo-Okeyacho does not exist anymore.
上桶屋町は今でも残っていますが、下桶屋町は存在していません。
Former Shimo-Okeyacho was located in the present Showacho district.
旧下桶屋町は現在の昭和町にありました。
Both Okeya-cho districts were in charge of making oke used in the Sumpu Castle.
両方の桶屋町は駿府城で使われる桶を作ることを担っていました。
(参考資料) 「駿府城と徳川家康」 黒澤 脩著 静岡谷島屋
旧下桶屋町 町名碑の説明板
「職と商でできた町 『駿府九十六ヶ町』」 静清信用金庫創立100周年記念事業