子どもが主体的に学ぶとは
ころあい自然楽校では「べんきょう」という時間があり、
主に算数と漢字をそれぞれのペースで進めています。
子どもによって違いますが、音読や社会や理科、英語に取り組んでいる人もいます。
私がころあい自然楽校にやってきた3年前、子どもたちはあまりこの時間に前向きではありませんでした。
学習中に私語が止まらず、私が不機嫌になり。
こわい!と子どもたちに怒られて。
でも私は勉強をしてほしくて、ケンカになったことも。笑
あのころと今では、子どもたちの学習の様子がずいぶん違うなぁと思ったので、そのことについて書いておきたいと思います。(主に高学年の子どもの様子についてです。)
3年前、なにしたらいい~?と毎日聞いてきていた子どもたち。
今ではどの子も、今日は何をするのかを自分で決めて、学習を始めています。
ある子は、初めの方が集中できるから、と漢字ドリルを始めます。
別の2人は、一緒に算数を進めるから、何分から教えてほしいと声をかけてきます。
6年生は何人かで約束して同じ英語の教材を買い、何時からしようと約束をして一緒に取り組んでいます。
4年生の女の子2人は、社会を一緒に勉強しよう!と教科書を音読し、環境センターにみんなで遠足に行きたい、と計画を立てはじめていました。
漢字をノートで練習していた子が、お姉さんにテストを出してもらっています。
こんな感じで、1人でやったり、みんなでやったりしながら、学習を進めています。
私は、「みんな本当に学習に前向きですごいな~」と感心しながら見ています。
なんでこんなふうになったんやろ。今日はそれを振り返って記事をかいてみようかなと思います。
子どもが自律的に学ぶようになった、その大きな要因で、今思い浮かぶのは
「学ぶかどうかの選択権は、その人にある」
ことです。
子どもの中には、学習が嫌な物になっていて、学びのエンジンがかからない人もいます。
初めのころの私は、そのエンジンの部分に目を向けず、子どもがその時間きちんと学ぶかどうか、に目を向けていました。
いやいやでもいくつかの課題をこなすことが、この子のためになる。そう信じていたのかもしれません。
けれど、いやいや勉強を頑張っていたのでは、いつまでたっても子どもの学びのエンジンは動き出しませんでした。
いつからか私の仕事は、「この子に学習をさせること」ではなくて、「この子を学習に誘うこと」なんだな、と思うようになりました。
それなら面白そう!と思わせたり、それくらいなら頑張れそうかも!と思わせたり。
気付いたらついやってしまったり。他の子から刺激を受けたり。
あの手この手で誘うけれど、あくまでも決めるのはこの子自身なんだな。
そう思うようになりました。
学びのエンジンがかかるまでは、1日中寝ているような子もいます。
1日中本を読んでいる子もいます。
私はその状態を許したいわけではありません。
あの手この手で誘いに行きます。でも最終的には、やりたくなったら声をかけてね!と言って、立ち去るようにしています。
どうしてもやりたくなかったら、やらなくてもいいよ。
と、腹をくくっています。
すると自然と、どの子も自分で勉強しだしたなぁ。
そう感じる、高学年たちの様子です。